特別な事は何にもしてない
ただしっかり線と糸を管理してその形になるように作る、ただしここまでになるにはそれ相応の時間がかかった、これらが自然と出来るようになるまでは大変だった、みなさん話す『貴方に話を聞いても文を読んでも何にも分からない、余程特別な事をしているのだろう』と、勘違いして欲しくないのは物を大切にしているのでなく、素材そのものの良さを引き出したいからです『余計な物は省く』それが私の消去法だからです。
本当に偉いのは出来上がったケーブルであって私ではない、確かに考えて作ったのは私本人ですが、今は自然とこのケーブルを作れる動きに身体がなっていると言う事です、ただ違うのは丁寧だと言う事だと思います。
ケーブルはお酒や食べ物や健康ととてもよく似ていると私は思います、それを理解できずに闇雲にいくら作ってみても出来る筈がないのです、いくら私がブログに書いても多分正確に伝わる筈がないのです、みなさんそう思っているだけかもしれません。
私の文章が下手なのかもしれません、しかし作る事は出来るのです。
話は変わります、姫路の叔父さんが亡くなりました2017年の事が思い出されます、父を亡くした我々を叔父さんは姫路までよんでくれました、片道600キロ、遠かったですがリオンで姫路まで行きました、そしてひるぜん焼きそばを食べたり投入堂側の喫茶店へ行ったこと、三朝温泉へ行ったことや鳥取砂丘の食堂へ行ってラーメンを食べたこと、全てが楽しかった、そんな事ばかりおぼえています、でももう居ないんですね、結局あれがおじさんの家へ行った最後になってしまいました、でも姫路の叔父さん今までありがとうございます、もうゆっくり休んで下さい。
今までありがとう、さようなら。