アナログプレーヤーとCDプレーヤー
今日も朝からあっちぃっすね~。
我が家から徒歩五分のところにあるマクドナルドで朝マックしている。
話は本題に入るが、その前に私がなぜこの様にたくさんのオーディオ機器を購入出来たのかだが。
私は二十歳の頃から秋葉原の高級オーディオ店の販売員だった。
三十年前、街は景気に沸き(当時は景気が良いなんて思った事もなかった、このままどこまでも続いていくと思っていた)オーディオ製品は街に溢れていた、毎月新製品のラッシュでと、にかく凄かった、しかし、当時のオーディオ製品はとても高く特に海外製品は高嶺の花だった、しかし、そんな中でも店頭に飾ってあった一年型落ちの商品は新しいものを飾る為、店も早く処分したい、メーカーも早く新製品を並べてもらいたい、当然両者は話し合いメーカーが補てんし、店も利益を削り、早く処分するために値段を安くする、それを更に安値の同業者価格で販売員は狙う訳だ、そうやって私は、沢山の機器を時にはクレジットを組み購入していった。
別に裕福だった訳ではない、お金はいつもなかった、それでも毎月楽しかった、夢があったのだ、今になって思う、毎月十枚は買っていたレコード、なぜ輸入盤を中心にたくさん揃えなかったのだろう?当時日本盤は反りやボッチや傷がなく優秀と思っていた。
国内盤は買った一週間後でも、連絡して持参すれば返品や新品と交換してくれた、輸入盤はその時に傷や反りを店頭で確認し、その時に見つけなければ交換してもらえなかった、多分、だからだろう。
でも音の良い輸入盤は、値段が半分以下だったと記憶する。
秋葉原の石丸電器に行けば国内外盤は総て、揃ってなないレコードはほぼなかった程だった、私の住んでいた沿線の小さな街にもレコード屋さんはたくさんあったが、輸入盤はなかった。1983年頃だろうか、急にCDプレーヤーなるものが出現した、デジタルだから音が良い、扱いが楽でスペースもとらない、との事だった。
景気に拍車がかかり時代は一気にデジタルへ、店頭でいつも聞いていてその音の悪さにがっかりうんざりしたものだ。
なんでみんなこんなものを買うんだろう?
音に覇気がなく何だかツルンとしていて、掴み所のない音に私はずっと感じていた。
最近はそのCDも随分良くはなって来たが、私はそれでもやはりその音や顔が気に入らない。
音は鳴るが音楽は鳴らないなぜなんだろう?スクラッチノイズもなくダイナミックレンジも広い、確かに優等生だそれは認める、しかし生命を感じない。
人は過去を振り返る、例えば三十年前のレコードを久し振りに聞いたとする、その時に昔つけてしまった傷の場所や、そろそろこのレコードは音が飛んだはずだな?と身構える、ほらやっぱり飛んだ。
そして、情緒的な感傷にしばし浸る、その時私は一気にタイムスリップする、当時付き合っていた女性がいつも気に入って付けていたコロンの香りや、最後別れる時、夏の雨上がりだった…その時に嗅いだアスファルトの雨上がりの蒸せかえるような油くさい臭いと共に、どうしても別れなければならなかった理由や、彼女の瞳や、最後にさよなら、と言って立ち去っていったその後ろ姿をただ見送り、もうどうにもならず、ただ立ち尽くしていた事が昨日の事のように、忘れていた過去が、鮮やかによみがえる。
これはCDでは私はあまり感じない。
そりゃ確かに音楽そのものの思い出はある訳だから、全くない訳ではない。
つまり昔は、買った一枚の貴重なレコードをそれだけ大切にたくさん真剣に聞いていたのだと思うが。
若い人達に聞くと、CDでも確かにそれはあるのだそうだ、しかし我が家に来てもらい、じっくりレコードを聞いてそれを話すと、かなりの数の若い世代が涙を流したのを私は忘れない。そして私は沢山のアナログファンを増やしていった。