アルテック816C
懐かしい写真が出てきました、1984年8月4日私が24歳の時に、ポラロイドカメラで撮った当時の部屋の写真である、カーペットに時代を感じる、部屋は和室の六畳間、両親と同居で、私はまだ独り者だった、当時景気は上向きで、何でも購入出来た。
一旦揃えた超高級オーディオ総てから脱却した時です、下に両親が暮らしている普通の木造の家に、このシステムを置いてある事自体、かなりのアンバランスだったと思う、でもこのボックスも今はもうありません。
今は亡き方に注文(秋葉原ラジ館4F清進商会 宇井さん)して作っていただいたアルテック816Cのコピーポックス、そしてキットで購入して、なんとか作ったクリスキットでマルチでドライプしていた、以前はこのクリスキットのチャンネルデバイダーでなく、パイオニアを使っていた、写真には写っていないが、プリもクリスキットで、アナログプレーヤーはマイクロのRX-5000とRY-5500でアームはサエクのWE-506/30だった、この前はラックスの真空管アンプMB3045で、何故かプリはオンキョーでした。
この後三年位後に、かなりシステムは変わって進化してゆきますが、暫くはこのまま落ち着いていました。
このシステムで培った数々の試練が、私の現代のルーツになった気がします、なかなか上手く鳴らなかった。
スピーカーユニットは当然JBL、ウーハーは2205Aドライバーは2420ホーンは2345です、以前はJBL077を追加して繋げていた。
私はこのシステムに落ち着くまで、相当な出費をしているし、メーカーから借りていた高級品はいったん総て返却しています、作ったネットワークの数は数えきれない、この形になりツィーターなど必要ない、最近までずっとそう思っていました。
まだ、こだわったケーブルは使っていなかったですが、一応SONYのOFCリッツ線の平行型の多芯線を短めに使っていた、そして、かなり良い音がしていると自分では思っていました、そして、この頃門前仲町のタカノ(アルテック)を聞いて驚いた。
連れていってくれたのは、職場が一緒の方で元ミュージシャンでした、ギターとアルトサックスがとても上手でした、とにかく今まで聞いたどこのジャズ喫茶の音とも違い、汚い音でしたが人間臭く枯れた強い音で、彼の人生を感じました、全く違う世界に入った様な気がしました。
その枯れたドライバーの音のかっこいい事、その時の私にはそう聞こえた、しかし今思い返してみると、やはりタカノの音はおかしなバランスだった、つまり音が渇き明るく跳び跳ねた音だったのだ、それからタカノさんの店に私は入り浸る様になった、タカノさんは突然天へ昇ってしまった、だからもう聞けないのだ。
その時は目標を失ったような気がした、しかしそれで良いのだと今は思っている。
私には私の思う音があるから、それは多分誰のものとも違うのだろう。
私は不摂生だが長生きしそうな気がしている、私は自由人だからだ、ようは、うつけもの戯け者の類いだろう、人がなんと言おうと私は自分の信念だけは曲げない、だから勘違いされ、友人もたくさん失ったのだろう、でもそれでも良いと思う、どんなものより私はオーディオが大切だからだ、仕方がない、それに逆らう事は、私の場合夢を失うこと、上の写真からなんとなくそれが見えはしないだろうか?(笑)
私は24歳で亡くなった大切な弟の葬儀の日さえ早く部屋に帰りオーディオを鳴らしたかった、そんな男なのです。
これは間違いない、私は三度の飯よりオーディオを聞いてる方が好きだ。
出てきた写真を見てそんな事を考えていた、そしてオーディオのスイッチをバチッ!マイルスのSOMDAY MY PRINCE WILL COME.(いつか王子様が)を鳴らした。
みんな昔は良い音だったと自分のシステムの事を話す、私は違うと思う、今の音の方が遥かに良い。