ウエスタンスピリッツが定める良い音の定義とは?
オーディオブログを、今まで毎日色々書いて来て思う。
自分がいつも思い描いている理想の音が、ブログを読んでいただいている方々に上手く伝わっていないのではないか?と。
実際にお会いして直にお話をしても、その内容は半分も伝わらない、ましてやブログは文章だ、人には各々色んな考え方がある、そして、人は自分に都合よく解釈する、そしてみんな自分のシステムはそこそこ鳴っている、でも後少しと思い込んでいる、となるとお伝えするのはかなり難しくなる。
でも個人的に主観ではあるが、良いと思えるオーディオの音の定義を、主観ではあるが、今日はお話ししたい。
何度でもお話する、大まかな所からお話しすると、良い音とは、違和感なく、たくさんのソフトを、録音レーベルやジャンルや録音年代を飛び越え、長い時間いかに楽しく聞いていられるかではないだろうか?
生活している中で、実に色んな音が耳につく、しかし、それら様々な元音は、あまり鋭くはなく広がりもあまり感じない、しかしその音やその場の総てを、もしもオーディオが再生したとしたら、多分スピーカーはプッ!と音をだし壊れるだろう。
特にスーパーから持って帰ってくるビニールの袋や紙袋のカサカサカラカラ言うあの音は、冷静に聞いてみるとかなりの音である、何dB位か測った事はないが、かなりの鋭い音である。
コーヒーカップをかき混ぜるスプーンの音、蛇口から出す水の音等もそうだと感じる。
普段から聞き慣れていて、それと分かっているので、脳が引き算をしているだけではないだろうか。
オーディオは、それらの音をそのまま鳴らす事は絶対に出来ない、録音して再生した音には間違いなく違和感がある、再生音が故にねじまがり、歪んでいて怖いのだ、またその怖さが魅力的なのだと思う。
では、それらの音をそのままに鳴らせるシステムが良いシステムなのか?その答えはノーである、残念ながら、録音された音、つまりミキサーが意図して録ったそのままを、嘘偽りなく鳴らすのが優れたシステムなのだ、それが一番顕著なのはシンバルの音である、録音出来ないからだ。
でも世界の録音ブースは総て本当に標準で鳴っているのか?多分なってないだろう、そこに悲劇がうまれるのだが、しかし、こう考える、ご自分のシステムで総てが上手く鳴る所は、努力をすればだが、必ず一点だけ存在すると思う。
やはりセンスも必要になるが、電気や物理を正しく理解して、本当に間違いのない真実の方向に進めば、システムはいつか必ず正しい答えをくれると思っている、つまり聞きやすい整った癖のない良い音になる筈である。
では個人的に定義を述べたい。
聞いていて、先ず一切のこもりがないこと。
柔らかな音と人は言う、しかし、ただ柔らかい音はこもった音の事、本当の柔らかな音は、固さの中から芯を伴い、鋭く早いが活き活きしていて耳には来ない、誰が聞いてもうさるさくならず、聞きやすい、本人だけが良いと思っても駄目である。
明るい音とは、歪んだ音の事だ、安価なアッテネーターを使っていたり、半田が天婦羅になっていたり、レベル調整等が上手くバランスしてなかったり、ネットワークの素子を半田でなく、多数ヶ所ネジ留めしていたり、接点が錆びていたり、無半田の端子をケーブルに使っていたりすると起こる。
とにかく本当のしっかりした音とは、柔らかく鋭角な鋭い音を鳴らしながらも太く、うるさくはならない、そして必ず低音が引き締まっていて、とても聞こえない様な、あり得ない重低音が奥行きを伴い、軽々とハッキリ色濃くダブらずに消え入るところまで鳴る音の事である。
しかし、その総てをクリアーするには、徹底的に正しい方向にエネルギーロスを改善する以外に方法はない、みなさんすぐに機材を変えてしまう、でもそれは違うのだ。
こもった音も、明るい音も、総てはエネルギーロスが引き起こしている現象である。
それら総てをご自分で徹底的に努力をされ、試された方が、システムの一部にどうしても限界を感じ、機材を交換するのは理解が出来る、しかしどんなに経験やセンスがあっても、はじめから高級品を総て揃え、完璧となるほどオーディオは甘くはない、私はその状態を嫌と言うほど見て聞いてきている。
普通の事を普通の人と同じにやっていても、音はその範疇にとどまる、しかし、あまりにも突飛な事をするのもまたいただけない、しかし、時には私の様にクレイジーな事をやってみるのも必要な時がある、その間違いに、ご本人がいつ気付かれるのかである、オーディオはそこがとても難しいのだ。
これだけが総てとは言わないが、本当にエネルギーロスのない音、それが良い音であると個人的に定義づけたいと思う。