父の笑顔
今日はオーディオのお話ではありませんが、少々お付き合い下さい。
父と私はいつの頃からだろうか、お互いに心のバリアをはり、本当の意味で分かり合えた事はないと私は思っていた。
国家公務員だった固い父の考えが理解出来ず、父は親の言う事を聞かない自由奔放に生きる私の生活態度が、ただ心配だったのだと思う。
しかし両親は急に年老いた。その二人の暮らしが心配で、父に了承を得て、両親の家を取り壊し、新たに建て替える事が出来た。
でもやはり、はじめは離れて暮らしていたので、父や母との確執があり、両親と一緒に暮らす覚悟が必要だった。
しかしそれは、単なる私の取り越し苦労だったようである。ようは、両親は私の仕事が皆目、理解出来てなかった感じなのである。
こちらの説明不足だと気が付いた。でも両親は私達夫婦が越してきて、特に私の部屋を見た瞬間に分かってくれた様である。
母は、私の仕事部屋に来る度に、「お前は、いつの間にこんな事になっていたんだ?」と聞くのである。
そしてこうなった理由を事細かに伝えると、「凄い、凄い」の連続である。私の仕事場は三階にある。父は私の仕事の邪魔になると思うのか、越してきてから四度程しか仕事場に来ないのである。
しかし、母からの細かな情報伝達で、私の仕事を総て理解出来たようなのである。私は若い頃、仕事ばかりで家庭をかえりみない父が大嫌いだった。
しかしその考えは間違いだった事にやっと気が付いた。私の本心は父が大好きだったのである。母は息子が可愛いので、あまりこちらが嫌がる事は言わなかった。
私は母が大好きだった。楽だからである。しかし父は滅多に家にいないくせに、たまに帰って来ると、私の嫌がる事ばかり言う。
しかしよく考えてみると、人生経験から、私が今のままでは将来、泣く事になると考えての事である。
自分の息子が失敗するのを分かっていて何も言わない親がどこにいるのだ。こんな簡単な事が54歳になるまで分からなかった私は馬鹿である。
しかし、私はなんとか間に合った。でも、これで良いのではないのだろうか。両親はこう思っている筈である。
私が大成功するとか、金持ちになり世間的に裕福になるとか、そんな事はどうでも良いのである。ただ元気でいてほしい。ちゃんと食べているだろうか。ただそれだけなのである。
そして同じ家に住んで居るのだ、一日に何度か元気な顔を見せてくれ、ただそれだけで良い。
父の朝の満面の笑みは、私にそう言った気がした。父よ笑顔をありがとう。私もそれだけで幸せです。