色々気付いた
部屋が片付くと別のあらが見えてきた、こうなる事は初めから分かっていた。
今までトトロの森のような、整理整頓されてない汚い部屋で、オーディオをやってきた事の愚かさを。
そして更なる音質改善のステップに差し掛かった事を、私は断捨離と片付けを通して分かった。
まるで部屋が変わった、音は全く別の顔をみせた。
結果、JBL 4560BKの低音をまともに聞く事となった。
かなり低い低音を再生していたと思っていたが、それは総て必要のないものが作っていたのだと思う、更に下の音階を再生していた。
所謂付帯音である、聞いていて一日休んでいたカートリッヂが馴染んできた、その素晴らしさに、この断捨離を指摘してくれた家内に感謝した。
「更に上に行ける」と確信した音になった、まだ繋げていないが、新たに購入したSAECのトーンアームは確実に優れている、そう思った。
そしてエール音響のツィーターがどれほどのレベルなのか分かった気がした、私が全く使い切れていなかったのである。
お断りしておくが、エール音響のMODEL 1710Be(ベリリウムの振動板)の音は、全くの別物であると言う事だったのである。
普通のツィーターのようにツィーターの音は全くしないのである、つまり上に足した感じはないが、ツィーターを切るとその空気感は消えてしまう。
もっと簡単に話すと、エアー感を感じる本物のツィーターなのである、シンバルがシャンシャン鳴るとかとはかなり意味合いが違う。
今回の断捨離をして感じたのは、やはり見た目に汚い部屋は音も汚いのである。
いらないものを大量に捨ててみたら分かる、確実に次の世界が見える、バカ丸出しだが分かって欲しい。
しかし、何もなくなった部屋にも今まで鳴っていなかった慣らしが必要なのである、今年も後少し、クリスマスと新年を迎えるに相応しい部屋にしたいものである。
この部屋で新年を祝うシャンパーニュを気持ちよく飲みたいものだ。
更にがんばるぞっ!!
しかし確かに昔のステレオサウンド誌の試聴室もそうだったが、たくさんのものが所狭しと置かれた部屋(ガタピシサウンド)は平行面も少ないとも言えるが、やはり部屋は綺麗に片付いていた方が音はいいと思った。
私もそうだったが、人は色々な理屈をこねて部屋を片付けようとしない、部屋は片付いた方が気持ちがいいと思う。
どこに何があるか分からない研究所のような状態ではいけないと思う。
場所がないからなんにもする気が起こらない、何かをしようと思っても足の踏み場もない、そして必要な工具も見付からない。
結局四年後の今回の断捨離で見つかった、一旦は取っておこうと分けておいたが、いつか使うかもしれない、この様なものは二度と使う事はない。
その理由は袋や箱に入れて分けてしまうので、その内忘れてしまうからである。
整理をしていて見付かったもの、私は総て今回の断捨離で処分した。
断捨離などの時に見付けて必要と思っても、必要ないからこうなったのであり、一旦は処分して、必要な時にまた新たなものを購入した方がいい。
新品で購入して一度も使うことなく再発見したニッパは、真っ赤に錆びていてもう使い物にならなかった。
結局オーディオのジャンクとなった様々な機材も同じである、いらないからはじいて置いてある、必要ならば使わなくてもラックに収めている筈である。
リサイクル屋さんの車に山積みされたまだ動作品は、私には今やジャンクに見えた。
私は思った「これがオーディオ屋である私のする事だろうか」と。
オーディオは部屋の中で王様である、オーディオを愛するものとして、オーディオ機材も、工具も大切なものである。
部屋も綺麗にするべきだ、未だに治らない左手の痺れは私に、色々な事を語りかけてきた気がした。
物と自分をもっと大切にしたい。
でも断捨離をして部屋が片付き、綺麗で気持ちよくなっても、それはだけで音は良くなりません、更なる音質改善が必要になりますが、やる気は自然と湧いて来るでしょう(笑)