大切な事
父や母や家内の事を真剣に考え思いました、大切なのは健康である事です。
父は二年前六月に他界しましたが、最後の一年は入退院を繰り返しました、急に腎臓の値が悪くなり、そこから一年もたなかったのです。
しかし、私は父の最後を看取る事が出来ました、我々夫婦の成長を確認し安心して旅立ったのだと思います。
「母さんを頼む」これを何度も繰り返し我々夫婦へ伝えてました、父の最期は本当に穏やかなものでした、太陽が西の空を真紅に染めて沈んでいくように。
父らしい最期でした、とにかく何度も入退院を繰り返し正直大変でしたが。
父はとても私に頼っていました、私が一瞬でも視界から消えると看護士に息子はどこにいる?とさがすのです。
かわいいと言えば語弊がありますが、嬉しかったです。
同時に母の認知症が進み、それこそ毎日火がついたような生活でした、まだ家内が働いていたので総て私の肩にかかりました。
今考えてもよく倒れることなく二人の介護を出来たな、そう思います。
暑い夏、食べても食べても痩せていきました、家内は心配してくれましたが、自分の大切な両親の一大事なので、私本人は何とも思いませんでした。
入院するにも退院するにも大学病院は時間がかかります、母の脳神経内科も半日仕事で、その後、父の見舞いに通っていました。
父の主治医は父より寧ろ、私の健康を気にしてました、それほどだったのです。
そして父が亡くなって直ぐに倒れたのです、それもすぐに父の四十九日が迫っていました、私は喪主なので早く退院させていただき、無事に喪主をつとめる事が出来ました。
それから二年、母を施設に入れる事が出来たのが今年の四月でしたが、それからすぐに五月いっぱい元々持っていた私の持病が次々に出てきて、五月いっぱいは本当に痛みに苦しみました。
五月は本当に地獄を味わいました、今は何とか復活してきましたが、私は今までの人生の中で、何時も体調を崩すのは決まって八月なので少しビビっています。
しかも今年は酷暑です、また体重が減って来ました、これはもう焼き肉を食べるしかないようです。
こちらが健康でないと家内に迷惑をかけます、家内と暮らし始め四?五回位、八月に倒れて来ました、気をつけないといけません。
しかし何を食べたから元気になる、はないのです、そして最近よく眠るようになったようです。
八月も残すところ後わずか、何とか乗り切れたらいいのですが。
大切なのはとにかく健康でいる事です。