趣味嗜好のもの
総てはみな同じです、
車は故障が少なく、馬力があって早く静かに走ればいい、美味しいものを食べても高い素材でないと美味しくない、ワインも高価でないと美味しくない、オーディオも故障が少なく、高価でないといい音がしない・・・
そう思っている方が殆ど、音楽の事など分かっていない。
拘っていても、ものの本質や本当の事や違いが分かっていない。
誰よりも本当の事を知りたくて、色々拘ってみて気付いたが、本物を見抜くには、やはり気付くだけの経験と類い希なセンスが必要です、そして自分なりの雛型、つまり基準を見つけなければならない。
ただ変化したのと、本当に改善されたのとは、話が全く違うのです。
本質を知るには、持ってるポテンシャルを余計な事をせず、最大限引き出す事にある、分かる前に次々に取り替えてしまっては何の進歩もない。
オーディオに関して言えば、余計なものを外して行く事も大切です、何かを追加すると物理的なものが変わるので、確かに音は変化はする、しかし良くなったのではなく何かが再生音に追加されるだけ。
それを幾度となく経験して来た、だから私は足さない、消去法(引き算)でオーディオを磨いてきた。
研究し完成させたケーブルが正にその消去法です。
その音は色々経験した事と似たような違いがあります。
ただ私だけが良いと思ってるだけではたんなる錯覚、ウエスタンスピリッツケーブルは、色々な方の耳と知恵を借りて完成させたのです。
車は性能の他に乗った時のフィーリングや遊び心のようなものを感じたい、食べるものや趣味嗜好品は、やはり自分なりの雛型や基準を持って比べたい、後はその違いが分かるかどうかではないでしょうか。
オーディオもそうだが、その基準だけは伝授する事が出来ないけれど「音とはこうあるべきだ」この基準をしっかり持っていないと、時にとんでもない事(音)になってしまう。
私はセンスと言う言葉をよく使うが、そんなに簡単なものではなく、やはり比べる基準と言った方が良いのかもしれません。
しかし私も含め人間と言うのは、自分の経験と感じてる範囲の中で照らし合わせ、文章や会話が成り立っているので、その真意を伝えるのが難しい。
色々な事を色々な内容で文にしてみたが、未だに伝わってない気がする、しかし、いつか誰かに伝わる気がして、私はこのブログを続けて行きたいと思います。
でも経験値や人生そのものが、それぞれ全く違うため上手く伝わらない。
「自分のオーディオや車なんだから、人にとやかく言われる筋合いはない」確かにそうなのだが、それでは「何の進歩もない」と今は思っている。
「ぬくもりは歌にならない」若い頃、井上陽水が話していたらしい、涙が出るような悲しい別れを歌った歌詞や旋律は確かに心に残る。
しかし圧倒的な景色を見た時、人は無条件に涙が止まらない、この辺りがオーディオの音に繋がる気がしてならない。
総ての芸術は見る人聴く人によって、全く違う答えになるが、やはり大多数の人が感動するものは、何かのセオリーや基準が存在する気がします。
私はそれが知りたい、それを音にしたいと願い、そのようなオーディオケーブルを作ったつもりです。