母の事
母はアルツハイマー型認知症を患いました、今は施設で暮らしています。
まだ自宅介護をしていた頃、母が喜ぶ顔を見たくて、毎週、母を家から連れ出し、家から往復二キロ位のホームセンターへ歩いて行っていました。
ホームセンターの中にはフードコートや、ガーデニングコーナーやペット売場があり、母はとても喜ぶのです。
母は機嫌が良くなると、大手を振り足を少し高く上げて歩く癖があるので直ぐに分かります。
ずっと思っていました「あと何回一緒に来られるかな?」そして私の中には何時もコブクロの桜がまわっていました。
そんな母を施設にあずけたのは去年の四月二十七日です、ゴールデンウイークの前の日です、それから一年経ったのです。
なかなか施設へ預ける決心がつかなかった、家内が寝たのを確認し、三階へ上がり、独りになった部屋で何度、母に詫びて泣いたか分かりません。
そして母と自分達の為に決断しました。
母は我々が送り届け帰った後、暫く「お父さんがいない」と私を探していたそうです、悲しいですね。
まだ足腰が丈夫だった為、私を探したのでしょう、徘徊しては部屋へ連れ戻されていました、しかし母は帰宅願望はありませんでした。
いつ私が季節を聞いても春かな?と言います、他の人が着てる服装を見ても、外の景色を見ても、もう理解出来ない証拠ですね、認知症は少しずつ進んでいきました。
でも我々は少し安心していましたが、去年末、施設内で夜中に転倒したらしく、連絡が入りました。
施設と言うのは、介護だけが目的なので、病院へは連れて行く事は出来ないのです、なので総ての予定をキャンセルして、車で母を迎えに行きました。
実際、母を見てみてびっくりしました、額から鼻の上あたりまでざっくりと切れていて、顔は目が腫れ上がりパンダのような酷い青たんになっていました。
施設から母を車に乗せ、外科に連れて行きました、経験者の方は分かると思いますが、認知症の人を車に乗せるのはとても大変です。
結果、認知症もあるので脳外科に回され 、そこから救急車で搬送されました。
家内は自家用車で脳外科へ向かい現地で落ち合う事にしました、検査の結果、頭の中に出血があるとの事。
手術して十日程度の入院が必要になりました、施設へその旨を伝えると。
一旦退所扱いになるとの事、しかし施設内で起きた事、施設も考え直していただき、部屋をあけておいていただける事になりました。
手術は無事成功、母は退院出来ましたが、認知症は一気に進みました、一週間後、もう一度診察の為、母を脳外科へ連れて行かなければなりませんので、再度行ってきました。
あまり細かくは書きませんが、当然そこまでも、色々な契約があるため、何度も施設まで行かなければなりませんでした。
遠いので普段、手が掛からないぶん距離があり、段取りが悪いと、何度も二百キロを車で往復しなければなりません。
家内は一言も愚痴を言いませんでした、だから私はそのぶん辛かった、家内には感謝しかありません。
そしてそれから特に何も起きてないようですが、認知症は更に進み、今では車椅子に慣れてしまったせいなのか、母は介護なしでは立つことも出来なくなったみたいです。
当然もう歩けなくなりました、まだ私と家内の顔だけは覚えていますが、もう要介護3になりました。
厳しく優しかった母はもういないのです、もしも、もう少し早くに気付いてあげていたら、そう思う事もありますが…
もう一度人生があったとしても、それは多分、無理ですね。
でも母は私の母で、私は母の息子、これだけは変わらぬ事実、家内もそこをしっかり理解してくれています。
母よ…穏やかに、あなたを思わぬ日は一日もありません。
なぜか最近、母の事ばかり考えています、色々大変ですが、来年は東京オリンピックです、理解出来ないでしょうが、母にとって二度目の東京オリンピックを観て欲しいです。