願えば叶う
必ずしも総ての方が叶うとは断言出来ませんが、願って努力する事が大切です。
私の場合二十歳の頃にオーディオと出会い、ずっと理想の音を求め努力してきました、その前はギター少年で、一夜の内にオーディオに転換しました。
途中何度も理想の音を手に入れた錯覚をおこしました、そしてアホなお話し、優れた機材を使えれば音が良くなり、いつか優れた組み合わせを探しあて、出来たら購入したいと思っていました。
オーディオとはそんなものだと思っていました、でもその考えは間違えていたのです。
優れた機材を匠な組み合わせで探して購入しただけでは、音は良くはならないのです、しかし一般的にはここまでで上と言えるでしょう、更にその先にはもっと芸術的な鳴らし方が存在する事を私はたくさん聞き歩き知ったのです。
確かに優れた機材を探し使う事も良い音を鳴らす条件の一つです、つまりこうです、銭はなくともかなりのそれなりのレベルに達する事も出来ます。
しかし機材が優れてくるとスペックや品位が上がり、ソフトの音質が丸裸になるため、並の腕や努力では優れた機材のスペックを100%引き出す事が出来ないのです。
これはオーディオだけにあてはまりませんね、でも一つの事を極める、これも良いと思います。
私にとってオーディオは趣味ではありません、仕事なのです、仕事である以上素人を唸らせてなんぼ、本物のアホになる、だから飯が食えるのです。
素人に指摘をうけては仕方がないのですが、実はその指摘が大切なのです。
その方がそう感じたと言う事は、そう感じる人もたくさんいらっしゃると言う事になります、これは更なる先へ進む為の秘策をいただいた様なものです。
聞けないとなればこちらは井の中の蛙になります、素人よりも優れている事も大切ですが、自分のシステムの欠点を知り、いち早く改善する事です。
オーディオは願っても総てを良いとこ取りする事は出来ません、付帯音をほぼ完璧になくした結果、精巧な写真の様になってしまったオーディオシステムを聞いた事がありました、その音とはかなりのものです。
ケチのつけようがないのですが、低音がないので聞いててつまらないのです、やはり動きを感じ生命感を感じ、油絵の様な濃厚さと凄みが欲しいと思います。
これは写真や絵画で言うところのぼかしです、最後の最後極限まで鳴らしたら、この芸術的なセンスが必要になります。
私は今主観ですが、まだまだではありますが、そこに至ったのでは?と思っております。
若い頃の私は力はありませんでしたが、根拠はありませんが、何故だか自信だけはあったのです。
そしてひたすら願い努力してきましたが、経験がなかったので、考えてみると随分遠回りをしました、そして心の中でたぎるオーディオの炎を絶やした事は一度もありませんでした。
オーディオでも何でもそうです、成功はするものでなく、させるものである。
考えていても何にも始まらない。