輝いていた彗星が消えて行く
オーディオの先駆者達が次々と亡くなって行きます、寂しいですが私はこう思います『この世での役目を総て終え世間との煩わしいしがらみや重い身体と決別し旅だった』そう感じます。
しかし家内と良く話します『我々は忘れ去られていくものの崖っぷちが崩れ去る最期の所を落ちずに歩いているような人生だ』と、その証拠に歩いた後は殆ど残ってないと感じます。
『昔はもっと本物の真実があったが、若いが故に真実から目を背けていたのではないか』最近そう思います、そしてまだ先に人生がたくさん残っている『また何時でも出会えるよ』そう思っているうちに消しゴムで消したようになくなっていた、今そう実感しています。
しかし本物を作っていた真実を知ってる方々は後生に伝達出来ずもうこの世に居ないのです、私はそう思い遅ればせながらそれを突きとめようとしました。
でも見本がないのです、結果私の頭の中にある理想の音でしかありません、しかしそこそこ鳴らす事は出来ましたが、やはり伝達するのは至難の業と知りました。
真実を伝達する事以前に、オーディオは矛盾だらけに感じます、個々の理解力や感じ方総ては様々で、見たり感じる事や求めるものは十人十色だからだと究極思います。
これらを総ての方が真に同じに理解出来たらこんなにオーディオは難しいものではないのです、消えて行った彗星達が残したもの今となっては感謝の言葉しかありません、夢や神秘性があり楽しい時代でした。
しかし時代は進みスペックは高くなってもそれだけで理想の音はなかなか鳴りません、誰もがスペックを追い求め鳴らす努力をしない、だからオーディオは音楽を鳴らさない、私はそう思います。