努力しても出来ない事
才能である、持って生まれたもの、これだけは努力で補う事は出来ない。
こんな経験はないだろうか、自分に難なく出来る事が他人には出来ない。
「なんでこんな簡単なことが出来ないの?」言われた相手はどうだろうか「俺は不器用で馬鹿なのか?」
「でもそんな言い方しなくてもいいだろう、時間をかけて教えてほしい」と。
いくら教えても出来ない人もいる、生まれながらにそのアイテムがないのである、しかし他の事になると自分より遥かに優れている。
つまりこれは能力が欠けているのでなく、生まれ持ったその事だけが出来ない才能の持ち主なのである。
例えは悪いが、馬に伝えても馬には人間の言葉を理解出来ないのである。
もっと言えば、馬には馬どうし意志の疎通が出来る、しかし人間との会話は出来なくても生きていける。
これと同じ事である、オーディオもこれと同じと感じる、私の友人に帯域バランスは何となく分かるが、奥行きや広がりの意味が分からないと話す方がいる。
ズバリ音でしか判断出来ないと話す、本来こんな事ではいけない気もするが、彼の再生音は大したものである。
言葉に出来ないだけで、何処かで分かっていると思う、しかし何時も彼のシステムを聴いていて何かが足りない。
まるで味覚のない方が作った料理を食べてるみたいな感覚があるが、どこがどうおかしいのか、私にも判断出来ないのである。
何時も我が家に来てこう話す「他はいいと思ったが、もっと低い低音が欲しい」何時もこの話になる。
私のスピーカーはJBL4560BKなので、60ヘルツ以下は難しい「それが鳴らないからこのスピーカーは明快で迫力ある音を聴ける」何度も伝えてきたが、またその話になる。
とにかく伝わらない、気がついた「分からない人っているんだな」どうにもならない。
センス、私はよくこの言葉を使う、経験も確かに必要だが、センスがないと音楽や音質改善が出来ない。
永遠、的外れな音質改善を一生懸命にやってる方がいる、やってる事は不器用で汚い、根気がないからか総てがいい加減なので、音質改善には至らないと思う。
パソコンとおなじである、いくら優れたパソコンを所有しても、ただ容量が増えて繋がるスピードなどが早くなるだけ、パソコンはデータを入れるあなた以上の能力にはならない。
ならばオーディオも同じ、あなたの人格やセンスを超える事はないと思いませんか?