オーディオに対する私の姿勢
人は同じ間違いを何度も繰り返す、そしてもって生まれた性格はあまり変わらない、でも私はそれで良いと思う。
自分は間違いを繰り返さないと思っている、それが間違いだ。
第三者から指摘があるからそれを聞き入れ、少しずつ成長してゆく。
指摘がないと言うことは寂しい事だ、自分は常識人だと勘違いしてしまう。
私はこうだ、過去に培って来た自分なりの常識や実験結果や凝り固まったプライドがいつのまにか天狗になり顔を出す。
人は自分の物差しより大きくはなれない、そして自分の為だけには生きられない。
見知らぬ誰かが自分を必要としてくれるから生きていける。
もっと言えば、良いことも悪い事もない平凡な一日がどれだけ幸せな事か。
そんな気がしてならない。たとえば、せっかく第三者が指摘をしてくれたとしよう、それはある意味すでに答えなのだが、その指摘が、自分の知識や経験のキャパシティーを越えてしまうと、人は心のシャッターを閉ざしてしまう。
そういった時、私は最近、しばらく考えてみる事にしている。
違うところからそれを見つめ直し、今までの自分では気付かなかった別の優れた答えが出て来る事もあるからだ、そうか…そういう事だったのかと。
その場で即反発し反論しても逃げてるだけで、全く解決しない事の方が多い。
その時は到底受け入れられなくても、それは自分のキャパシティーが狭いだけで誰のせいでもない、冷静に考えてみると、正しい答えが出る筈だ、答えが出なかったとしてもただやり過ごすよりはましだ、私はそう思う。
特にオーディオは趣味だから、と片付けてしまうのは簡単だ、しかし先に行こうとするならばそんなものではないだろう。
突き詰めていけば必ず真実は見えてくる。
それは何故?どうして?広い心で受け止め考え、また実験してみて答えを出したい。
私の実験など失敗の連続だ。
貴方のスピーカーはJBLだからやはり派手な音ですね、クラウンのアンプも古いからレンジが狭いですね、まるでPAの音だと言われたとする。
私は先ず、そうですねと指摘を受けとめ、冷静になってから何かに書き出す、そして先ずそれに対して徹底的に反論の文を書いてみる、そしてまた先に書き出した指摘をもう一度読む、反論があればまた徹底的に書く、これを繰り返していると、相手が伝えたかった本当の事が分かってくる、そしてその傾向と照らし合わせ対策も書いていく、そしてまた総てを何度も読み返す、気付く筈だ、自分のキャパシティーの狭さに。
そして気付いた内容を自分のオーディオに当てはめてみる。
先の人が話したのは一般的な指摘でその人の頭で作った先入観だ、ならばそう聞こえない様に、次にその人が来る前に改善すればいい訳だ、私はその繰り返しで今のサウンドを構築していったしこれからも同じだ。ここから先は確かに経験とセンスも必要になるがいちいちその場で反論するなと言いたい訳だ、先ず受け止める。
偉そうに話しているが、これが私には今でもなかなか出来ない、心が狭いのでバリアーをはり、一旦は反論してしまう、自分は間違えてないのだと。
しかしそれではいつまでたってもなんの進歩もない。大切なのは、時間がかかっても良い、相手の、言葉にならなかった言葉を探し、その答えを音に繁栄させてあげる事が大切ではないだろうか。
くだらない常識が邪魔をする、それはたいてい自分が勝手に限界を作っている事が多い。
人は一人では生きて行けない。
何だか今回は精神論になってしまったね(笑)