夜中にオーディオ聞いてると
夜中は静かだ、特に街道沿いに住んでる私には好条件だ、しかし当然大きな音は出せない、昨夜、いったん床についたが眠れないので、耳を研ぎ澄まし静かに聞いていた、どれだけ聞いただろう、気が付くと、ある時間から何をかけても信じられない位良い音になった、言葉を変えたら、いつも願っている理想の音にとても近いのに気付いた、アルコールのせいでも眠気を我慢して聞いているせいでもない。
普段はジャズしか上手くならないこのシステムで、キョンファの弾くシべリウスのヴァイオリンが、透明で奧深く、弾いてる側の感情までもがハッキリ分かる位に錯覚する程、とても上手く鳴った、みんなこの様な経験はないだろうか。これは昔からよくある私の個人的な事なのだが、平日の夜中に特に起こる。
ブルノワルターのヴェートーベン六番(田園)シックスアイ(米国コロムビア六つ目)のオリジナル盤を聞いていた、花を飛び交う虫の羽音や、小川のせせらぎや、カッコウの鳴き声や、頬を優しく撫でる風や新緑の匂いも総て暖かく感じとれ、くすぐったくなるのを感じた。
電力会社の問題なのか、みんなが電気をあまり使ってないからなのか、それは分からないが、昨夜も突然にそれは起こった。
いつも聞き惚れていて、時間は見ていないが、聞き続けられる限り、その状態になるとその日は、その鳴り方が続くのだ。
因みにカートリッヂはデノンのDL-103である。その経験はそう頻繁にある事ではないが、今まで人生の中で10回は経験している。
しかし、やがて眠気がやって来る、その音をやっと捕まえた気がして、また昼間聞けるのではとCDをリピートしておき、目覚めて聞いてみると、夜中に聞いた音は微塵も残っていなかった。
いつものJBLのジャズが良く鳴るオールホーンシステムの鳴り方にすぎない、ボリュームはあえて上手く鳴った昨夜のままなのだ。次の日いつも思う、あれは夢だったのか、と。
しかし、それは違う、確かに私はまた聞いたのだ、あの音で昼間自分が好きな音量で聞けたならどんなにか素晴らしいのだろうと。
私は、思考が幸せな人間なのかも知れないが、そうなれば正に異次元のオーディオになる筈だ。
最近暫く、その音に出会ってなかった、久々に鳴った。
かなり低い所まで軽くクリアーな低音が出て、うるさくなく定位の小さな、抜けの良い滑らかで鮮やかな中音、何処までも伸びた高域、その総てがとても奥行きがあり、再生音とは思えなかった。
こんな事が昨夜確かにあった。