私達は何をする為に産まれて来たのか…
私はオーディオのネットワークやケーブル以外にも色々考えます、賛否両論あるでしょうが、冒頭ですが、あくまでも私的考えなのをご理解下さい。
最近これを考えずにはいられない様な事件や事故が多すぎます。
東関東大震災に始まり、日本は経済的政治的岐路に立たされている、もうガタガタだ、もう今の状態では誰にも舵をとれないのではないか、そう感じるのは私だけではないだろう。
しかし、東北の人達は暗いトンネルの中、それでも強く生きている、家族、親戚、友人、持ち家、仕事、その総てを失った方はたくさんいます、その人々に私はこれ以上頑張れとは言えません、総てを失い、それでも毎日充分に頑張っているのです、いったいこれ以上何を頑張れと言うのだ!自分に置き換え、じっくり考えていただきたい。
その頑張れを聞く度にうんざりしていると私は思います。
話しはかわります。
人は物凄い天文学的な確率でこの世に生を受けます、それ自体、もう宝くじを当てた様なものだと私はいつも思います。
人は見知らぬ誰かに必要とされています、ただ貴方が生きているそれだけで、人を幸せにも不幸にもしているのです。
人はみんな少しずつ運命をずらされて守られ、また、自分はついてないと思い、日々生活していると言う事です。
例えば街を歩いている、些細な事で、ぶつかりそうになったり、切符を買おうと歩いて行くと割り込まれたり、貴方が先に切符を買ったら後ろの人が詰まる、そしてたくさんの人の運命が少しずつずれてゆく、そしてそれが遥か遠くでもたくさんたくさん海外でも起こっている、それでも起こる点と線の接点、出会いと別れである、地球の総てがずれてくる、そんなものです、そこに生と死も絡んでいる、何気なく生活しているようですがそれはとてつもなく数奇で、確率の計算式では計算しきれないでしょう。
あえて内容は言いませんが、自分だけの都合で列車を大きく送らせる人、これはこの世からの消去を意味します、その人にも待っていたはずの全く見知らぬ人が居たはずなのです、関係のない人まで巻き込み世間に対し多大な迷惑をかける、これはいけない事です。
それと、最近取り上げられている孤独死ですが、人間は最後みんな孤独死です、独りで産まれ独りで死んでゆく、亡くなられた方には確かに同情は致しますが、マスコミは次から次へと大きく取り扱い過ぎだと思います。
人間をはじめ総ての生命体は独りで生まれてきて最後は独りで生命を終える、これは宇宙の摂理です。
しかしお金がなく飢えて亡くなると言うのは一見あまりにも残酷な気もします、その苦しさは想像も出来ません、何とかならないものかとも考えましたが、では人間以外の動物や植物はどうでしょう?我々が気付かないだけで飢えて亡くなる、食べた物が喉につかえて亡くなる、たくさんある事なのです、これは賛否両論あるとは思いますが、宇宙の中で地球は特殊な星です、食べ続けなければ生命を維持出来ません、言い変えるならば、正に弱肉強食なのです、その食物連鎖の中で勝てなかった人達と言わざるを得ません。
理性をもった人間だけが、感じる死への特殊な感覚と言えます。
飢えて今にも死にそうな動物が人にものごいをしますか?枯れそうな植物が水をくれと人に叫びますか?
他の動物も確かにハーレムの様な集団行動はしますが、人間程の強い絆は私には感じられません、大体の動物は食べる為に食物を探す為に常に移動します、しかし途中で怪我をしたり弱った仲間を少しはかばい心配はしますが、大体は諦め、置き去りにされます、それは生きてゆく為の自然な行動と思考能力なのだと感じます。
つまり同じペースで移動出来ないものを待っていては、そのハーレム自体全滅してしまうからだと私は考えます、しかし特に猿です、亡くなって干からびても母親は我が子を手放せないのです、悲しみのあまり愛する我が子を蘇生させようとさえするのです、あの映像は悲しくて頭にこびりついています。
しかし、やがてその母親は子供の遺体を引きずっているために疲れ、群れから少しずつ離されていき、最後は子供と同じ運命を辿るか、戻ってきたボス猿に亡くなった子供を引き離されてしまうかのどちらかです。
人間と似ていますが、かなり違います、人には理性と法律があります、亡くなった子供をいつまでも抱いていたら、世間から爪弾きにされ、警察か行政によって処理されてしまう筈です。
私にはどうする事も出来ませんが、無責任なようですが、人間何があっても生きて行かなければなりません、どんなに辛い事が重なる様に次から次へと貴方に起こっても、必ず解決出来る時は訪れます、人間は幸せになるために産まれてきた訳ではありません、見知らぬ誰かの役にたつ為に産まれて来たのです、それが人間です。
命を自分の都合で勝手に終わらせる、その事だけは止めて下さい、貴方は独りではない、明日の貴方を待っている見知らぬ人がどこかに必ずいるからです。
黙っていても必ず夜は明けます、まるで当たり前の様に。