人間嫌いな事は出来ない。
今日はいっけんオーディオと関係ないような事だが、実は、私にはとても関係がある、今回は、私の事について恥をかくのを承知で書いてみた、これは総て本当の事である。
自分は他の奴より絶対に出来るんだ、何の根拠もないのだが、そう思い込んだら、もう欲しいものを手に入れたも同然、私はそう思う、願わないものが来る訳がない、出来ると思わなければ出来る筈がない、そしてそれをやるならばいつも今だ、私は子供の頃からなぜか人より自信だけはあった。
人間、これだけはどうにも私には出来ない、そう思う事の一つや二つは誰にでもあるだろう、しかし今現在は、出来る事しか出来ないのだ、ところがそれが好きな事ならば、やるべきこと出来る事からコツコツと順序だてて(その順序は間違えてもかまわない)こなしていくと、やがて出来なかった筈の事が自然と出来る様になっている事がある。
とは言っても、今本当に必要なこともやらずただ生きている、それではたんなる屍(しかばね)になってしまう、生活や仕事や趣味に何の潤いもない成長もない、明日で良いじゃん?私はそれが大嫌いなのだ。
私の事で申し訳ないが、とにかく勉強が嫌いで全く出来なかった、勉強をしないし、授業に興味がないので全く頭に入らない、テストはいつも全く答案を書けない、だから学校もサボる、とうぜん通知書もいつもオール1に限りなく近かった、きれいなものだった(笑)
スポーツも団体でやるものは総て自らシャットアウト、しかし好きな個人種目や、好きな科目の勉強ならば力が入り負けた事はない、特に理科は百点が多かった、これはいったい何なのか、私も子供心にずっと考えていた。
私は理科ならば、勉強しなくとも好きだから総て頭に入るのだ。
これは個人的な危ない事なので総ての人に当てはまらないとは思うが、人間嫌いな事を嫌々する必要はないと思う。
私の場合、嫌々やっていると、気が入らず怪我をするし、何より力が入らない、無理矢理やってみても、結局飽きてやり遂げる事は出来ず、劣等感にさいなまれる、これではマイナスだ、だから最初からやらない、私はそんなシンプルな思考回路だ。
私は楽器が好きだった、私が生まれた小さな田舎街には、レコードもかねて売っている楽器屋さんが二件と質屋さんが一件あった。
私はいつもそこに釘付けになってしまう小学生だった、それはショーウィンドーに特別に飾られた、キラキラ輝く金と銀のトランペットだった、何てかっこいいのだろう、何時間でもそこで見ていたかった。
忘れもしない四十年前、安い方(金メッキ)は14800円だった、吹けもしないのにただ欲しかったのだ、両親に頼んでみたが、当然の如く小学生に買ってくれる筈もない、小学生の私には毎月のおこずかいが300円、どう逆立ちしても買える筈はないのだ、私のように勉強もまともにやらない子供に、難しいトランペットなど吹ける訳がないと両親は思ったのだろう。
中学生になった私は、お店の人に何度も交渉して、分割払いで親には内緒で、トランペットを売ってもらった、中学生にクレジットなど通る筈もない。
つまりは小さな街である、そこは自衛隊の駐屯地があり、それで食べているような街だから、自衛官だった父親の信用で楽器屋さんは仕方なく私に売ってくれたのだと思う。
しかし当然の事なから、約束しても支払える訳もなく、足は自然と店から遠のき、やがてある日楽器屋さんから両親に話が行く事になる。
しかし普段は厳しかった母は、私に何にも言わず、そのお金を全額支払ってくれていたのである。
母は一言私に、もう黙って買っちゃ駄目だよ、払っておいたからね、そんなに欲しかったの?ただそれだけだった。
それが嬉しくて、私はどんどんトランペットを吹ける様になっていった、誰にも習っていないのにである、教則本を買ってきて、レコードを聞きながら、覚えていった。
それはなぜか?
一人で好き勝手に出来るものであったからだと思う。
学校が終わると急いで家に帰り、河原まで自転車でいき、毎日吹いていた。
考えてみるとその時だけ、悪かった私も、不良っけがなかった、誰にも習っていないので、独特な楽譜を独自で作り、いつも暗くなるまで真っ赤な顏してフラフラになって吹いていた。
好きとはそう言う事なのだろう、父は私の吹くトランペットの音を聞き、強くて綺麗な音だと誉めてくれた、お前は普通の子と少し違うのかも知れないと父も母も私に話した、しかし勉強もしろよと、言った、でもそれでも正直、勉強が必要と私は思わなかった、父は学歴が極端に少なく、若くして戦争に行き、そして自衛隊に入り、頭は良いが苦労して出世した人だ、今勉強しておけば俺よりは将来楽になると言っていた、後で泣くなよと。
それでも結局私は、今まで勉強をしたことは一度もない、オーディオで色々したことは勉強と言う言葉になるとは思うのだが、私は好きな事を自分は誰より出来る、そう勘違いして突き進んで来ただけだ。
しかしそれが私の選んだ道だ、それは色々覚悟の上だ、多少の後悔はなくはないが、間違いではなかったと今でも思っている。
嫌な事はしない、好きな事しか出来ない、今はそれが私にとってはオーディオなのだ、これからもずっとオーディオが好きだ、しかし私ははじめてこう変わった、オーディオは一人では出来ない、多分トランペットもそうだったのだろうと。
しかし、好きこそ上手の始まりとは、昔の人は実にうまいこと言ったものだ。
みんな生活の為に多少嫌な事も我慢している、私にはそれが出来ないのだ、いくら上司に黒だと言われても、自分が見て白ならば白だと言ってしまう、だからどこに勤めてもちゃんとした評価をもらえずで、私はみんなと群れの中でおとなしくしているのは無理だと分かったのだ。
しかしそうは言っても、結局人間、一人では何にも出来ないのだ、私も歳をとり少しずつ丸くなって来たかな、最近そう思う。