今までありがとう。さようなら調布
抜ける様な青空でとても寒い日だ。
十二年前。雪の降るとても寒い日だった。世田谷の経堂から我々夫婦は、逃げる様に調布に引っ越してきた。しかし、夜逃げではありません(笑)
最初ここに越してきた時は、水道の蛇口から血の様な赤錆は出てくる、風呂は暗く狭い、前の部屋と地域のあまりの落差に、正直、あまり気に入った部屋と土地柄ではなかった。住民税も高い。
ただ私は、水木しげるの漫画が大好きなのだった。
今振り替えると、この部屋は、防空壕の様に傷付いた我々をしっかり守ってくれた。
そして今はあまりなくなったが、引っ越した当時、水木しげるが昔に書いた、漫画に出てくる風景がまだたくさん残っていた。
色んな出会いや、二人の友との永遠の別れもあった。病気になり、ステロイドをたくさんうって、入院したこともあった。頭にくること、悲しいこと、苦しいこと、悔しいこと、色々あったが、なんとか二人で力を合わせ乗り越えてきた。
一人では生きていけない。今、初めてそう思っている。
しかし所詮は賃貸なので、いくら家賃を支払っても、自分のものにはならないのだ。家賃は月に管理費込みで約十三万円、これはなかなか今の時代厳しい。
今回引っ越す事になった原因は、千葉に戸建てを建てたから。両親が年老いて、二人暮らしでは危なかしい事と、正直、今の家賃を支払っているのが苦しくなったから。
それと、これは付録だが、私の仕事であるオーディオの部屋が狭く、まともな音を鳴らせなくなった事である。努力して、あり得ない凄い音になり、部屋の限界を越えてしまった。
オーディオをまともな音で鳴らせないと言う事は、今以上優れたケーブルが作れないと言う事になる。やはりケーブルを更に研究し作り、更にまともなシステムに繋げたい。少しでも出来上がったケーブルの音をきっちり判断したい。
それは私が楽しむ為ではなく、やはり私を信頼し、ついてきて下さるお客様の為だ。
それらの悩みを総てクリアーするべく考えてみると、千葉にあった父所有の築三十二年の戸建てを取り壊し、新たに基礎のしっかりした、各々が干渉することなく暮らせる、少し大きな戸建てを建てて、家内も含めた、家族四人で暮らすのが一番と思ったからだった。
新たな新居での生活は楽しみだけど、やはり十二年住んだこの部屋と街には思い出がたくさんあり、いざ出て行くとなると、やはり少し名残惜しい。
十二年は短いようで、荷物を整理していると、やはり確かにそれなりの埃があちこちにたまっていた。それを見て、それなりの月日を感じた。
この街で、この部屋で、色々あったけれど、トータルでは楽しかった。
さあ!旅立ちだ。出て行こうっ!時は満ちた。
調布市国領町よ。今まで本当にありがとう。とても安らかで、楽しかったよ。さようなら。