熱く生きる事の意味とオーディオの答え
今日もオーディオとは関係ないお話しですが、無関係ではない。
私は、とても分かりやすく熱い人間である。なぜそうなのか?誰も本音でオーディオを語ってないからである、だから熱くならざるをえない。
趣味嗜好?デザイン?大切なのは、オーディオであるいじょう音である。確かに音楽を聞くためのもので、音ばかり追ってはいけない。
しかし、そこそこに鳴っていなければ、常に違和感があり、音楽に浸れない。違うだろうか?
私は自分の考え方が総てとは言わないが、やはりそこそこに鳴らしていただきたいと願うのである。
しかし、現状は惨憺たるものである。分かってか知らないのかただ色んなメーカーの新製品に飛び付き、実は大した事のない音をみなさんは鳴らしているに過ぎない。
では何故貴方はタンノイやJBLやアルテックを使っているのだ?
タンノイ信者に多い、五味康介(やすすけである、こうすけではない)の五味康介オーディオ巡礼を読み、オートグラフに憧れを抱いてるに過ぎないのではないのか。
それと、オートグラフがもつ、たぐいまれな神秘的な圧倒的なデザインではないのか?彼がもの凄い音を鳴らしたのはお金があったからではない。知識も何もない彼がしたこと、真空管を差し替えて手をかざし、その温度で決めていたそうである。
それとセッティングの匠である。今、二本のスピーカーが、部屋の空気を、無形のピアノをバイオリンを鳴らすと言った。その部屋は、二本のスピーカーを全く感じさせない不思議な鳴り方をしていた。しかし五味康介があのような音を鳴らせたたのは、オートグラフを使ったからではない、真空管アンプだったからでもない。
それは、彼のたぐいまれな音楽的教養が頭の中にあったからである。それは五味康介オーディオ巡礼を読むと分かる。
凡人ではないのである、それでは、タンノイオートグラフをお持ちならばなおのこと、何故その鳴り方を研究しようとしないのか?私は不思議で仕方がないのである。
真似をしてMC-275を揃えようと、EMTのプレーヤーを揃えようとそれだけでは同じ音には到底なりえない。
教養とセンスが伴わないからである。その五味康介が鳴らした定位とは凄まじいものであった。
今でも、耳にこびりついている。私には無理だ、そう思っていた。しかし色んな方向から見つめやっていくと良い音には必ず定義がある。
二本のスピーカーのセッティングが決まって来ると、一点を見つめ聞きながら、リスニングポイントを多少ずらしても定位は動かず、楽器そのものをこちらが回って見ているような立体的な定位をするようになる。
まるでフォログラフを見ているような気持ちになる。普通リスニングポイントを左右にずらすと音もこちらが右にずれると右に、左にずれると左にずれる。
それは違うのである。どんなに左右にこちらが動いても、センターに定位した音像は動かず、立体的に見える様な鳴り方をするものなのである。しかしやはり所定の位置(一点)が音は一番だが。
それが左右正しくその部屋にあったセッティングが出来ていて、こちらの聞く位置が正しいかがちゃんとした答えなのである。
左右のスピーカーが正しく置かれてないのに正しく二本のスピーカーが動作している筈がない。私はそう思う。
私はそれが言いたいのである。気がするなんてもんじゃない、いかなるレコードやCDをかけても、その鳴り方は変化せず、総てそれなりに鳴る筈なのである。
しかしそんな鳴り方をするスピーカーに私はそれ以来会ったことが一度もない。
左右がちゃんとセッティング調整されたオーディオシステムがいかに素晴らしい音楽を鳴らすか?それをご理解願いたい。
オーディオは、どんなに理屈を並べても鳴らなければ意味がない。それをご理解願えないのでイライラしている訳であります。
だから私は、熱くなるのです。私の様な人間が一人位いても良いのでは?オーディオは物(機械のスペック)ではない。それも確かに少しは必要だが。僅かの差でしかない。
貴方の人生がそのまま貴方の装置から鳴る音の器になる。つまり貴方の鳴らすシステムの音は、貴方自身の鏡である。
二本のスピーカーを部屋の空間に置いて、左右ちゃんと鳴らす、それは至難の技である。
左右のスピーカーの二等辺三角形の頂点で聞くとか、定規で測り左右が同じに合っている等、そんな簡単なものではありません。耳で聞いてそうなっていなければいけません、部屋は総て条件が違うのです。
その総てを耳で聞いて管理出来れば、いつか五味康介になれるでしょうが、凄まじい努力が必要となります。
オーディオは数値で語れない。いくらオーディオのコンピュータソフトでピコピコ画面を睨んでも、スピーカーの左右を全く同じに定規で決めても、アンブでモノラルにして決めようとしても、アンプにはクロストーク(左右の音の混じり)がある、よって、それだけでは決める事は出来ない。
その証拠に、リスニングポイントを左右にずらすと音像は左右に動くではないか。それは合ってないと言う事である。
五味康介と南口さんの音は確かに凄かった。私は忘れない、時間と共に美化されてる訳でない。確かに鳴っていた。五味康介オーディオ巡礼はそこを読んでいただきたい。知識のない彼がどれたけ悪戦苦闘したのかを。
五味康介オーディオ巡礼は、それをとても熱く書いた本(オーディオバイブル)である。