分からないなら話すな
最近つくづく思う、何も分からずお勉強中の身にもかかわらず、ネットに公開している方をたくさんお見受け致します、まぁブログなので軽くみてるのでしょう。
色々なものをコンセプトなく作り、変わった変わったとブログで公開している、作っているものはいつもワンパターンの金属ばかり、読んでいて憐れになってくる。
そんな人が日本全国にいらっしゃいます、金属は木材より同じ大きさならば圧倒的に質量が高い、それで振動を吸収したり美しい響きを作れるとでも思っているのだろうか?訳が分からない。
下に敷くものと電源コンセント等にきいた理屈を全く理解してない証拠、ただ勢いだけでやっているようにしか私には見えない、音が大した事ないのは、聞かなくても分かる、聞くのも時間の無駄と判断致しました。
私も元来あまり理知的に考えて答えを出すタイプではなかったが、さすがに、理論が必要になってきた。
他人に説明した時に、何故だか分からないけれどこちらの方が音がいいでは、相手に伝わらない。
そう感じたのです、やはり理論だった説明と何故?を解かなければならない。
ただ闇雲に行った実験結果を公開して、いったい何になるのだろうか?やってみなければ分からないならば、公開して欲しくない、被害者が出るからである。
そして、待てない性格なのか、答えが出る前に公開してらっしゃる、経った時間でなく、実際に音楽を鳴らした時間の事を私は話して来ました。
特に新たに購入導入した機材はなんと1000時間の慣らしが必要なのに『そんなものやってられない』ときたもんだ、ならばオーディオは出来ないと思う。
ほんの少しの違いを聞き分け、前後関係と合わせて冷静に間違いなく重ねて行く、これが異次元のオーディオ構築なのです。
人は自分の意見に賛同してくれる仲間に囲まれていると、気持ちはいいが進歩はしません、私はそんなぬるま湯が嫌いです。
自分と違う考えの意見こそ大切なのです、しかし、こう言った方々は自分と違う考えの人の意見をはじき、『自分のオーディオなんだから自分が聞いて良ければそれでいい』正直笑ってしまいます、なんと短絡的で馬鹿な人生観なのだろうか、真に小さな、大人に成りきれない人間です。
多分何をやっても何を使っても使い切れず間違えた結果を公開し続けるのでしょ?
最近あまりに頭にきたので書いてみました。