四年と七ヶ月
此処へ越してきて色々かわった、大きく変わったのはやはり父を失った事である、若い頃からずっとお互いを認めないと勝手に思っていたのは私の方だったのである。
父とは引っ越してきたその日から(酒を酌み交わし)少しずつ互いを理解し、半年程で昔からのわだかまりが総て解けた、まるでずっと凍っていた永久凍土が解け出すようだったのを今も思い出す。
もっと色々話したり、自分の考えを真剣に父に伝えるべきだったのである。
今、父には、本当に素直に「ありがとう」この言葉しかない。
でも、孝行したい時に親はなし、本当の事だった、だから私はその罪滅ぼしの為、認知症になった母の介護をしているのである。
いや「そんなかっこいいものではない」本当は私自身後悔したくないだけなのかもしれない。
深夜眠れず上がってきた独りのリスニングルームで、クラシックの弦楽四重奏が、静かに吸い込まれるような素敵な音で鳴っている。
ふと感傷的になり、亡き父を思った、俺は本当にこれで良かったのか?自問自答してみる、でもどこにも答えはなかった。
今は夜中の1:25。心配してくれた父や母の意見を私は足蹴りにして生きてきた。
父は亡くなる少し前「お前はもう大丈夫だ、後は母さんと三人で夫婦仲良く、家族仲良く、よろしくやってくれ」これを子供のような顔をして何度も私に話した。
そして一言「もう駄目だな」と寂しそうに話した、言葉がつまり何にも言えなかったが、多分、父は何の後悔もなかっただろう、そんな素敵な父だった。
父は、何かもっと私に伝えたい事があったのか?それすら、もう、聞く事も出来ない。
しかし、私はこれからも立派だった父の顔に泥を塗るような事は出来ない、そして思った、何時までも感傷に浸っている場合ではない、このオーディオからとんでもない音を鳴らすのが私の仕事である。
話は変わる、ここに越してきてから、色々な出会いがあったが、少しの間に結構な知り合いが消えていった事を後で知った。
そして、ウエスタンスピリッツのオーディオも随分変化した、変わってないのはスピーカーボックス(JBL 4560BK)とコーラルのホーン(AH‐500)位のものだろう、後は総て変わった。
言うまでもないが、ここ二年で見違えるような音質になった。
部屋もジャンクで溢れてる、これからのテーマは断捨離である、使わないものは総て捨てて、必要な時にまた揃える、必要がなくなればまた捨てる。
いつか使うだろう、私の場合これは絶対にないと思った。
私は人やオーディオが好きなのだ、だから信じた人とは垣根を取り払い、徹底的に付き合ってしまう。
そして総てをあけ広げ、何でもかまわず垣根なく話してしまう、これが結局たくさんの人を傷つけてしまった、人と人は適度な距離が必要である、やはり適度な垣根はあった方がいいのだ。
58歳になり私はやっとこれに気がついた、私は世渡りが下手である、気付かず沢山の知り合いが離れて行ったと思う。
ただオーディオを理解し私の考えも理解してくれる人しか残らなかった。
しかし、その生き方も悪くないが些か寂しい、他人を傷つけてはいけない、色々な人がいて面白い、色々な捉え方、色々な考えがあるからである。
しかし、もう誰も傷つけたくない、この考えがまた人を傷つけてしまうのかもしれない、そして結局、自分も傷つくのである。
最近私のブログを読まれてる方から、ありがたいお手紙をいただいた、私はメールが出来ないので、から始まるその文章には正直嬉しくて胸が詰まった。
私は最近少し元気がなく文章が熱く書けない、困ったもんだとブログに書いた、正にそのブログの返事だった。
私は熱い人間です、それ以上でも以下でもありません、私は不特定多数の方から理解してもらおうとは思っていません、まだお顔も知らないあなたに感謝致します。
話は戻りますが、亡くなった父は穏やか冷静でしたが、とても熱い人間でした、私は華やかですが、やはり熱い性格は父から受け継いだのだと思います。
思いを達成するまで、熱が覚める事はありません、だから私は危ないのです。
だからこのような音を鳴らしこのようなケーブルを作る事が出来たのだと思います。
疲れた…おやすみなさい。
後日談、必要なくなったジャンク品は格安にて引き取って頂いた、断捨離の始まりである、数年ぶりでやっと床が見えた。
もっともっと処分したい、オーディオを仕事にしてる人の部屋にする為である。