何か楽しい事ないかな?
私はこの言葉が一番嫌いである、よく聞かれる「何か良いことないかな?」私は「あるよ」と答える事にしている。
総ては感じる事であり、ものは考えようである、私は今色々(介護や色々)あるが実は楽しくて仕方がない。
例えば夫婦で色々調べ、何か美味しいものを食べに行ったとする、美味しければ最高にハッピーであるが、例え最大級に美味しくなかったとしよう。
これを二人で笑い飛ばし、よき思い出に変換するくらいの、広い心が欲しいと個人的に思えてならないのです。
「最近何か良いことあった?」と聞かれたら「私は何時も最高です」と満面の笑顔でかえす事にしている。
そして、そういう質問をしてくる輩とは極力付き合わないようにしている。
趣味は昼酒と、競馬、パチンコ、競輪、麻雀、私は全部興味ないのです、どうせ昼から飲むなら、クラシックやジャズを聞きながら、美味しいものを食べて、シャンパーニュですね。
場末の居酒屋は私のしょうに合わないのです、気取っているからではなく、その仲間の中に入っても話題が全く噛み合わないからです、その中にはたまにとんでもない人物もいますが、大体は終わっています。
我が家は今、認知症になった母の介護にドップリですが、たまに夫婦で昼間からお気に入りのシャンパーニュをセラーから出してガンガン飲む事にしているのです。
常に楽しい事を探してさ迷うような思考回路はないのです。
楽しい事は見つけるのでなく、つまらない事でも笑い飛ばせる位、心の広さをもつ事です。
いくら暗く考えてもなるようにしかならないのです、そして今が例え最悪でも何とかなるのですよ。
幸せは目の前にたくさんあります、反面嫌な事もたくさんあります、待っていても良いことは来ません、迎えるのです。
人の芝生はよく見えるものですが、何にも悩みのない人なんて何処にもいないのです。
見方を変えてみたら、楽しいことや良いことなんて、どこにでも転がっていますよ。
今自分がどう感じているか、ただそれだけです、小さな楽しさをたくさん集めて笑っている、いいと思いませんか。
幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ。