ただ生きていてもしかたがない
せっかく生まれて来たのです、私は何かになりたかった、それがたまたまオーディオケーブルの製作でした。
私はこれまでの人生の中で何の目標もなく、何かを達成できた事は一つもありませんでした。
けれど「誰も出来なかった事を仕事に出来たら」と思っていました。
そして「人の困っている事をもし私が解決出来たら」と思っていました。
かと言ってボランティアは性に合いません、オーディオの中で何か私に出来る事はないものかと考えていました。
たまたまあちこち彷徨っていたとき、東京近郊のビンテージオーディオショップで、ウエスタン研究家の方と出会い、その方の作った絹巻きオーディオケーブルと出会い「これだ、これなら私に作れるかもしれない」そう思いました。
それから色々切磋琢磨して現在に至ります。
初めて見て聴いた絹巻きケーブルは驚きでした、今でも大切に保管してありたまに聴いてます。
古いウエスタンのトランスから解いた素線は、0.3ミリ程の細さで、そこにハンドメイドで絹巻きされていたのです。
元々太いケーブルが嫌いだった私は、見て持っただけで「音が良さそうだな、凄いな」と思いました。
聴いて更に驚きでした、そしてそのようなケーブルを見たことも聴いた事もなかったのです。
私はその方を師匠と決めました、師匠は「どうだ、分かるか?」と私に聞きました。
楽器の音や位置が鮮明で、低音が鳴らないように低い方へのびて、全体の重心が下がりました、とお伝えしました。
すると「凄いな、もう分かったの?」と聞いて来ました、不思議と一瞬で分かったのです。
そして師匠は「みんな駄目だけど、お前は見所あるかもしれない、もっとオーディオやってみるか?」と仰いました。
私は「はいっ!真剣にやります、宜しくお願いします」とお伝えしたのです。
それから師匠から毎日電話が来るようになり、三日おき位に来られるようになり、上手く鳴らされてる方のオーディオシステムを聴きに連れて行っていただいたりしました。
しかしその音は大きく格好良かったのですが、強く違和感を感じました、帰りの車の中で「聴いてみてどう感じた?」と聞かれたので、こう話しました「勢いは感じますが、中音がおかしい」とお伝えしたのです。
すると「流石だ、俺も何時もそう感じてる、奴には何度も伝えてるけど、話しても分からない」と言われました。
そして「聴いてる時お前は俺の横でニヤッと薄笑いしたな」と言いました、確かにそうでした。
そしてこう仰いました「あれでも日本で三本の指に入る男の音なんだよ」と、○○録音研究所の方のシステムです。
プリやパワーアンプは真空管で、オイルコンデンサーをたくさん使用した自作ネットワークで、オールホーンスリーウェイスピーカーシステムでした。
ホーンの喉元には特殊に加工された、スロートが付いていました、形状から思うに、車やバイクに付いてるマフラーのようなものです。
推測するに多分、エネルギーロスさせずに、自然減衰させ固定抵抗を使わずにウーハーとの帯域バランスをとるものと個人的に判断しました。
これは室内の音を漏らさず換気をするサイレンサーのダクトの技術と似ていると思います。
ネットワークの回路は、マイナスへエネルギーを逃がす固定抵抗の定数を調整しています、その方法よりエネルギーロスが少ないと考えたのでしょう。
でもその方法が中音の違和感の原因かもしれません。
それからウエスタンのトランスなどを沢山ご持参されたり、二人で色々やってました。
半年程経ったある日を境に師匠は連絡もなくなり、来られなくなりました。
そして二年程経ってから伺ってみたのです、こう仰いました「お前はあちこちで俺の弟子だと言ってるらしいな、俺に気を使っての事だと思うが、もうお前は俺の弟子ではない」と仰いました。
「首になったな」そう思いましたが、違いました「お前はもう自分の足で歩いている、お前のケーブルは独自に進化した、もう俺の名前は必要ないだろう、しっかりやれ」と言われたのです。
そして「ウエスタンスピリッツと社名を付けたいですがどうでしょうか?」と伺ってみた「オーディオやってる以上、ウエスタンの名前を付けるのはいいと思う、いい名前だ」と真顔になりました。
分かっているかいないかを試されていた気がします。
それから月日は流れ、色々経験を積み今思います「私はウエスタン信者ではない、独特の帯域バランスでは今以上のケーブルを作れない、誰もが求め誰もが鳴らせなかった端正な音を鳴らし、そこに作ったケーブルを繋ぎ、優れたケーブルを作ろう」そう思い現在に至ります。
ただ生きていてもしかたがない、でも私はオーディオケーブル作者と言う者になれたのです。
しかしその間に時代はどんどんデジタルの方向へ変化しています、ウエスタンスピリッツはデジタルアナログ共に進化しています。