ついてる人ついてない人、生きてりゃ色々あるよ
私達は何故産まれて来たのでしょう?
幸せになる為に、いいや、そんな単純なものではない。
一つ、言いたい事がある。そんな事より、貴方がこの世に生を受け産まれてきた確率は、天文学的な数値です、宝くじ一等に当選など、まったく問題にならない程の確率で貴方という人間はこの世に産まれて来たのです。
この地球の生命体として、地球と言う星では、食べ続けなければ生命を維持できない、しかも我々人間は高い知能を持ち、地球で一番の強者として、たくさんの命を頂いて生きてる、それがつまり、いただきます(命をいただきます)、である、しかも貴方は今生きている、それだけでも本当は大変幸せな事なのです。
その意味、本当に分かっていますか?
私は宗教家でも精神論者でもない。
実は最近、私はここまで立ち直る迄に、9日もかかった。しかし、何故今こんな事を急に語り出したのか?私は長年夢にまでみたオーディオルームをもっと簡単に作れると信じて疑わなかった、しかし自己資金がないので、銀行の住宅ローンを組むべく書類を揃え言われるままに銀行へ提出した、その結果審査に落ちた。最初はこう思った、何故いつも私だけがこんな事にばかりなるのかと。
私はついてないと。
正直ガックリ落ち込んだ。でも、それは全く違う、ついてないのではない、いや、むしろついていたのだと、何も、あわない人とお付き合いすることはない、ならば銀行も同じ事だと、色々調べた、他に全く借りてるところのない公務員でもないかぎり、今の時代、銀行の融資は、正直厳しくなっている、震災以降、更にその傾向だ。銀行の性格や審査基準や書類を受け付ける担当者レベルの力にも、かなりの差がある事がハッキリと分かった、ビルダーさんに細かく相談してみると、そんな事でいちいち落ち込んでいたらどこの審査も通らないよ、そんな事は想定内、落ち込んでる場合ではないと、いとも簡単に笑って言われた。
みんな同じですと。
事の顛末はそんな簡単な事なのだが、自分はマイナス思考になっていた事に気付いた、いや、以前から私はマイナス思考だった、つまりはこういう事だ、どっちに考えても、それは第三者が決める事で、こちらが考えても仕方がない、だから銀行の審査で何が引っ掛かってるのかを少しずつ探るしか手がないのである。
私はネットで色々調べた、審査のあまい銀行とか、通りやすい銀行とか、他もたくさん調べた、しかしその情報どれもが所詮は他人事で、正直かなりいい加減なものであること、審査のあまい銀行など正直どこにもない、確かに銀行により、またはその担当者の力なりで、融資の可否は決まるのだ、まだ可能性はかなりある、それは自分で色々トライしてみる他はないようだ、細かに調べてみると、こんな例もあるようだ、厳しいと言われる銀行の審査が総てとおり、ネットであまいと言われた住宅ローンを総て弾かれた人、また、その逆のパターンも確かにたくさん存在する、実に様々である。
だから結局は、良いところと契約が結べる様になっているのだと私は思う。
それは運不運ではないと言う事だ。
こういう事だと思う、何かを得ようとするならば、別な大切な何かを捨てる事だ、これは一見不親切なようだが、本題はそこではない、ただ、ずっと待つなと言いたい、諦めろと言いたい訳だ、その諦めろと言うのは捨てろではない、思考を次に持って行けである、待ってる間にどんどん次に行けである、この話は銀行の審査だけのお話しではない、一度にたくさん申し込むと、その情報が流れると嘘を書いてる馬鹿がいる、そんな事は絶対にない、そんな事がその個人以外に分かるのならば、それこそ個人情報保護法に引っ掛かる、自分の信用情報を調べる事は出来るが、何件申し込んでいるかなど相手に分かる筈がない、借り入れ情報は筒抜けだからそれは注意点だが。他の事もみんな同じ、繋げて考えてもみてほしい、私は今までネガティブ思考であった、でもそれをもう私は止めた、思考総てをポジティブに切り替える事にした、ない頭で悪く考えても何にも良い事はない、大切な自分を、自分が傷付けているだけ。
自分は、目に見えて人の役にたっている、そう思えるならばそれは確かに一番幸せだろう、しかし、そんな人は多分殆どいない、誰もが悩み、まだ見知らぬ誰かを、自分がただ生きている事で幸せにしている、そんな程度のものだ、それだけでもう充分である、人は生きているだけでたくさんの人に迷惑かけて、寄りかかって助け合いそれでもなんとか生きているのだ。
ならば貴方が勝手に死ぬ事で、どれだけの人に迷惑をかける事になるのだろう。亡くなってしまったらもう何にも出来ないのだ。
私にはそんな事はあり得ないが、自分が勝手に命を絶ってしまう事は、それこそ一方通行、もう帰っては来れないのだ。
貴方をどこかで待っている人を裏切った事になる。
そんな話はないだろう?それこそ大変失礼な事だ。
誰しも逃げたい、死んでしまいたい、そう思った事はあるだろう?
私は何度もあった。
しかし出来ないのだ、人は見知らぬ誰かの為に生きているのだ、人は自分の為だけに生きる事は出来ないからだ。
私の場合はそれがオーディオだった、まだ見知らぬ貴方が何処かに居てくれるから、私は、オーディオルームを絶対に完成させるのだ。
ただ、人は総てに煮詰まり、努力を出来なくなる時もある、時には逃げてしまえ、と言いたい、逃げる事は恥ずかしい事ではない。 強くなけれは生きていけない、優しくなければ生きてる意味がない、そんな事は絶対ないよ。
少なくとも、あがいた私には貴方の痛みが分かる。
時には前に進む為に、逃げる事も諦める事も、貴方の為に大切な事です。
生きるって痛い事もたくさんある。
そっちの方が多いよね?
私は、貴方に直接的に会うことはない、でも私は間接的に繋がっている、何処かにいてほしい。
私は明るく生きる。
これからも時には逃げながらね。