真にオーディオを愛する
それはなぜか、今はもういない巨匠達の演奏をリアルタイムで聞ける可能性があるからに他なりません。
現代の演奏は録音機材やマイクロフォンの進歩によって、確かにミスタッチの少なさや色んな意味ですぐれているのかもしれません、しかし、心にグッとくるものがないのです。
ある意味すべて優等生なのです、音楽とはそんなものではなく、もっと人間的な情緒みたいな要素があると個人的に感じるのです。
つまり、技術やそんなものでは語る事が出来ない、芸術性がなくてはいけない、つまりは旨味のようなものです。
私は昔からSP盤やSP復刻盤もたくさん聞きます、SP盤のレーベルや年代を揃える為のイコライザー(サウンドボックス製)も所有しています。
響きもレンジもないのですが、弾いてる奏者の気迫みたいな殺気を感じるのが好きなのだと思います。
同じものを現代の演奏とくらべ、差し引きして聞いたとき、その演奏内容は圧倒的に違うのです、しかし、これは個々に感じ方が違うと思いますが、私は蓄音機の音が素晴らしいと思います、電気的なものがないからだと思います。
そして、その演奏内容が、もしも、現代の録音で録られていたならどれだけ素晴らしかったのだろうか、いつも思います。
私は変わり者なのかもしれませんが、それが本音なのです。
これはあくまで個人的な考えですが、演奏はすでにし尽くされていてその継承である、そう感じるのです。
ですから、再生側はその録音を歪めてはいけない、そう思っているのです、それをブログを通しお伝えしたいのですが、勘違いされてる方が多くなかなか伝わらない、それが本音です。
音はまともにするもので、こちらが作ってはいけないのだと思います。
ならばオーディオケーブルもまたしかりだと私は考えます。
オーディオケーブルは、定数を変えられないフィルターのようなものである。
真に優れたケーブルとはケーブルなど繋がってないかのようなケーブルだと思います、ウエスタンスピリッツはそれを目指しました。
色なケーブルを合わせて使ってみても、優れた音にはなりません、成功の秘訣は総てを揃える事です。