認知症の介護
今日は度々書いてきました母親の事です、少しお付き合い下さい。
母は、約十年程前から認知症を発症していたのだと思います。
千葉の実家を取り壊し建て替えをする時、初めて気がついたのです。
注文建築なので、何から何まで自分たちで選び、決めていかなければならないのです。
建築屋さんと新宿のショールームへ家族四人で行った時の事です。
何を見させても感心を持たず、自分たちの家の事なのに、面倒がって選ぶ事が出来ないのです。
その時家内は母の認知症に気がついていたそうですが、私が傷付くと思い、あえて伝えなかったようです。
母はもう目からも耳からも情報が入らないので、本人はとても不安なようです。
一番大変なのは、何を伝えるにも会話が成り立たない事です。
例えば「仕事で房総まで出掛けて来る」と伝えると「何処なの?」と聞いてきます「鴨川」だよと伝えると「鴨川か」と納得、その直後「何処行くの?」この繰り返しなのです。
これを永遠と繰り返すのです。
しかし、不思議なのは、今は来なくなりましたが、私のリスニングルームへ音楽を聞きに来る事があったのです、まあ私の顔を見にくるのだと思いますが。
すぎもとまさとさんの吾亦紅(われもこう)を聞かせると、付属の歌詞を読みながらじっと頷きながら聞いているのです。
そして三十分位聞いてると表情が軟らかくなり、若かった頃のように普通に話が出来るようになるのです。
やがて飽きるのか階下へ降りていきます、少しして安心して階下へ降りていくと、また壊れているのです。
これが理解出来ないのですが、母は自分が我々の邪魔になってるかもしれないと勝手に思っているのだと思います。
出来るだけ自分の事は自分でやりたいと思ってるらしいのですが、やっぱり出来ないと言います。
「とにかく、できないものはできないで良いじゃないの」と私は諭すように何度も伝えてます「俺だってオリンピック選手と同じスピードで走れと言われても出来ないよ、それと同じ事だよ」と何時も話しています。
母は、何で前に簡単に出来ていた事が出来ないんだろう?ひたすら考え自分をせめて、疲れて不安になってる気がします。
「出来ないことはほうっておいて、我々に寄りかかる、この位ズルくていいと思う」何時も伝えますが、忘れてしまうのです。
しかし、下の事は自分で出来ます、もうおかずは作れませんが、ご飯も自分で炊けます、徘徊はありません。
体はいたって丈夫です、私の言う事を良く聞いてくれます、性格は穏やかです、食欲は凄いです、しかし、満腹中枢が壊れてる訳ではありません。
母さん、優しかった父さんはもういないけど、あなたが穏やかに生きてる今日は素晴らしいです。
家族三人穏やかに仲良く、おもしろおかしく暮らそうよ。