ボケた者勝ち
アルツハイマー型認知症を患った母の話である、少しお付き合い頂けたら幸いです。
このお話は他人事ではない、いつあなたの伴侶やご両親が患うかも知れない認知症のお話をしよう。
母の認知症はこれでも軽い方だと思う、
もっと酷い方を私はたくさん見てきた。
本人は何にも分からないので天下太平である、記憶が一秒もないので会話にならない、何かを伝えようと話す内容も支離滅裂であるが、病気のサインかも知れないので気をつけている。
会話とは沢山の単語が前後関係(肯定や否定)と絡み複雑になっているため、それを理解できず会話が成り立たないのである。
ここへ引っ越して来る前、建築屋さんと色々決める為ショールームへ行った。
その時、台所周りや、お風呂、内装、外装、床の色、玄関の扉、玄関の床の材質や色、畳や壁や天井の色、他にも色々あるが父も母も全く決められないので、初めて母が認知症なのに少し気がついた、父は殆ど耳が聞こえなかった。
とにかく耳が聞こえなく殆ど声が出ない父と、認知症になった母とその二人の生活は実に酷いものだった。
我々が手をかそうにも父は「大丈夫だ」と言って我々が色々やるのが嫌だったみたいなのである。
母は脳神経内科を受診すると、やはりアルツハイマー型の認知症と結果がでた「やっぱりな」そう思った、かなり前(十二年ほど前)から確かに母は壊れて来ていた。
ひたすら同じ話ばかりしていて、内容も今必要のないことばかり何度もくり返し話す、色々決めようにも、家族四人の会話が全く成り立たないのである、たまに母を外し色々話あった事もあった程である。
最近、遂にお漏らしが始まった、少し前から部屋の臭いだけが気になっていた、ビ二ール袋の中に沢山の汚れた下着が入ってるのを発見、母には話さず黙って捨てている。
最近まで家内が洗ってくれていたが、すぐに洗濯機を止めてしまうので、あらゆる手を尽くしたが駄目でやめた、ネットで紙オムツを購入して、説明してみたが全く履かない。
「全部自分で出来るから大丈夫」との事、総て出来ていると思い込んでいるのだ。
実際は何にも出来ないのに、認知症になるといらない悪い性格とプライドが強く残る。
友人が介護の終わったご自分の父の事を話していた「本当に何度ぶっ殺そうと思ったか分からないし何度も蹴っ飛ばした」こう話していた、しかしこれが老人介護の現実である、私はこの気持ちが痛い程分かる。
私も同じである、認知症の介護は長く、臭くて汚い、その大変さは慣れてきた今でも想像を絶する。
何より大変なのは言葉が会話として成り立たない事と、記憶力が全くない事である「醤油を冷蔵庫の中に入れないで」これを何千何万回伝えても覚えてくれない。
そして去年の六月に亡くなった父の事を、未だに「病院へ入院してる」と近所の方へ話している「父さんが居ないから私は何にも出来ない」と近所中に話しているらしい。
来年の六月で丸二年もう三回忌だと言うのに。
本人はそんな事言ってないと言うが、聞いてもいないことを近所の方が我々に話す筈がない。
父の死を理解出来ないのである、私はこう思う、酷い話だが、父が入院していた方が母にとってお世話をしなくていいので都合が良いのだと思う。
自分がボケてるのを近所の方へ隠しているのだと思う、だからバレバレなのに、そんな常識すらなくなった、そんな母が哀れで仕方がない。
因みに近所の方は一人残らずみんな、父の死と、母の認知症を知っている。
ただ一つの救いは、母にはまだ徘徊がないことだけである。
日増しに壊れて来た母、もういかんともし難い。
みなさん色々助言をくれるが、総て手を尽くした、外からの助けはないのである、我が家は私と家内が同居なので基準の点数に満たなくて、手厚い介護が受けられないのである。