究極のオーディオはない
どんなに極限までいこうとしても到達点は何処にもない、機材もそうだし、もっと言えば設置する部屋もある。
世の中にはどこかに凄いシステムを所有していて、とてつもなく素晴らしい音を鳴らしてる方がいらっしゃると思っていた、音がいいと話題の方のシステムを聞き歩いた、でも何処も五十歩百歩で、機材のご自慢ばかり。
結局どこにも優れた音を鳴らすシステムは存在しなかった、私は思った「自分が鳴らすしかないな」と思った。
オーディオは所詮、人が作ったものなので、必ず隙がある、そしてオーディオは様々な部品の寄せ集めであり、接点の数々、つまり継ぎ接ぎだらけ。
上流からスピーカーまで電気信号を何十キロも届け、そこからグランドに落ちる、その一回の動作が一ヘルツとなる。
よく考えてみると、いかにエネルギーロスを起こしているのかが分かる、なので如何にグランドが大切か分かる。
しかもオーディオは交流である、更にもっと複雑、でも考えてみるとおぼろげながら見えてくる。
オーディオはある程度完成されている、後は如何に帯域バランスを崩さず適度な響きを構築しながら、録られた音をどれだけ歪みなく再生出来るかである。
どんなにご立派な測定器でシステムや部屋の特性を測っても、それで美音を鳴らせる程オーディオは甘くはない。
響きとは余計な音(付帯音)、つまり余計な音、しかしその響きが適度にないと音楽にならない。
なのでよく解説にあるスピーカーの内振りセッティングは理にかなわない、聞く位置や部屋の形や特性によって、全く個々に違う置き方になる筈である。
しかし上手く鳴る共通の置き方とは、二本のスピーカーはリスナーに対しほぼ平行になっている。
そして上手く鳴るシステムは音がスピーカーから聞こえるのでなく、楽器のいる所から聞こえる。
音の骨格は二本のスピーカーセンターに感じるが、そこから広がり楽器の位置が分かるのである。
少なくともウエスタンスピリッツはそうなっている。
これを求めるのは経験から来る教養のようなものであり、やはりセンスである。
何時も同じものしか感じてないから分からないのである。
なので一番現実的な、質の高いクラシックコンサートを聞くのが一番と考える。
確かにある意味でならば、コンサートより優れた録音は存在する、しかしそのソフトを帯域バランスが崩れないように、更にもっと上手く鳴らす努力が必要である。
ところが二本のスピーカーが消えた音、これがなかなか上手く伝わらないのである。
かなり鳴らないとその様には鳴らない、私はこれを鳴らしてみたい、一生かかる再生芸術なのです。
使っている機材が優れているからではありません、貴方がどこまで分かっているかにかかっています。