母は活き活きしてきた。
やはり何かが障害となっていたのだろう。考えてみると、両親は高齢で、引っ越しが二回である。まいってしまうのは当然である。父はとても元気である。
二回目の引っ越しは、引っ越し屋さんを頼まずに、母は、ほとんど父と二人でやったのだ。たいしたものだと思った。私は力のいる事だけは手伝い、あえて静観していたのである。
私達が提案したとおり、大きなタンス類は五個、総て市の粗大ゴミで処分してくれた。
私は大きな勘違いをしていた。母は全くボケてなんかいない。父をおだてて上手く使ったのである。ただ我々と少しペースが合わないだけだったのだ。
新居の事で自分で決めなければいけない事がたくさんあった、そのどれもが待ったなしである。
母は答えを求めると、分からない、分からないばかりを繰り返していた。私はイライラしていた。
しかし良く考えてみると、それは当たり前の事だったのだ。今まで自分で色々選び、家を建てた事がないのだ。
前の家は建て売りだった、その前は、結婚してからずっと自衛隊官舎に住んできたのである。
私の思考は、途中から両親の住みやすい家を建てるから、一緒に住む家を建ててやるに勘違いをしてしまっていた。
とにかく母にはとても大変だったのだろう。悪い事をした、とても反省と後悔をしている。
今私は、総て母のやりたいようにしてあげている。最近、母は前向きに思考が変わった。良かった。
活き活きしている。実際はまだまだだが、私のオーディオの仕事もやっと認めてくれたし、後はそれを形にしてみせてあげたいのだ。
おふくろ…もう心配いらないよ。これからも大切にするからね。
しかし、母がこうなったのも総ては、我々若夫婦が住宅ローンの審査に五回も落ちたからだ。
今の住宅ローンの審査はちょっと厳しすぎる。借りたい者には貸さない。借りたくない者には貸したい。変な世界である。少し緩和されないものか。本当に親子の関係が崩れてしまう。
しかし結果オーライ、今のところ、総ては順調である。
今の部屋の温度は、エアコンを入れずに、夜の九時半で19.9゜である。鉄筋並みである。健康になります。