いただきますの、本当の意味
今日はオーディオとは関係ないお話ですが、お付き合い下さい。
食べると言うことはやはり、貪り(むさぼり)の境地である。腹が減ったから一心不乱に食べる。でも総ての食材は生きていた。それを食べてる訳だ。
しかし感謝はしても、いちいち豚さん、牛さん、鳥さんかわいそう等と思っていては滅入って食べられない。
この食物連鎖の地球では、常に引力に逆らい生きている為、他の命をいただき食べなければ、生命体はエネルギーを維持できない。
しかし、食べる時に一々その犠牲になった食物の事を考えてはいられない。しかし、人間にはせめて理性がある。
犠牲になった食物をかわいそうとは思わないが、やはり感謝をし、せめて残さずに美味しく食べたい。
貴方が残し、捨てられた食材は、貴方が頼まなければ今日も生きていた筈の生き物である。それこそ無駄死にである。そんな事は許されない。主観だが個人的にそう思う。
それが本当のいただきますであると思う。本当の意味は、動物であれ、植物であれ、貴方の命をいただきますである。
小魚だから良いけれど、イルカや鯨は駄目だ、そんな話しはない。総て生き物は生き物だ。
食べられるから生物は生きていける。我々も例外ではない。それを忘れてはいけない。
食物連鎖の中で今のところ人間は、一番高い所にいる事になっている。しかし、今のままやりたい放題では、いつか必ずしっぺ返しがくる。
ところで、サバンナのど真ん中で、貴方は誰の力も借りずに独りで生きていけるのだろうか?中に入り、半日も歩いていたら間違いなく寄ってたかって肉食獣の餌食にされると思う。
多分無理です。
ならば人間は、食物連鎖の頂点にはいない。ならば、頼んだものは残さずに食べる、それは当たり前の事です。
嫌いなものがあるならば、初めから抜いてもらう、これが常識です。もったいないとは少しだけ意味合いが違うのです。
野菜が嫌い?ならば野菜も貴方を嫌いです。好き好んで貴方の栄養にはならない。頼んで出て来たものは残さずに食べましょう。ご飯つぶ一つ残さずにです。
これは、店への礼儀ではありません。食材への礼儀です。
総ての生き物への愛着は確かに必要です、しかし人は食べなければ生きていけない。
せめて愛でて、美味しく食べましょう。
釣りを大好きな人から聞いた事があります。
自分はたくさん魚を釣って殺生したから、せめて自分が死んで骨になったら、その骨を、海に散骨してもらい、魚の餌になりたいと。
私はそのお話を聞いた時、なぜかグッと来ましたよ。残された遺族さえ良ければ、それで良いと私は思います。
いただきますの本当の意味は、命をいただきますである。結局自分もいただかれているのです。
そして同じ食べるなら、美味しく残さずにたくさんいただきましょう。
いただきます。
ごちそう様。
大切な言葉です。
今、ほとんどの日本人はそれが出来ていない気がする。お金を払ったんだから関係ないだろう。
でもそれは絶対に違うからな。