やはりオーディオはセッティングが大切だ。
今回の二人のお客様の試聴訪問結果、それは私にかなりのヒントをくれた。確かに部屋はまだ新しく、オーディオに都合よく馴染んでいない。
しかし、上手く鳴らないのはそれだけではないだろう。
そう思った。
最近私は、ずっと沈んでいた、しかしそこから遂に立ち上がった。
暫く黙って一ヶ月聞いてきたが、どこが悪いかやっと分かった。
この部屋に来てから先ず私は、4560BK(ウーハーボックス)だけを左右内振りにして、ホーンやツィーターは平行にして聞いてきた。
その結果、リスニングポイントがドンドン前に行き、スピーカーに近付く程低音が出て、上下の繋がりも滑らかになるのである。
さすがにこれはおかしいと気付いた。
調布の時は、むしろ左右のスピーカーは逆オルソン方式で、左右が外側に少し開いていた。同じように設置してみたが、この部屋では中抜けの状態になった。
それではと今日、壁から30㎝離したまま、左右のスピーカーを全く同じようにフラットにしてみた。そしてホーンもツィーターも同じく完全に前後も会わせ、フラットに置いてみた。
この音だ、左右のスピーカーの存在感が消えた。柔らかく何倍も広がりがあり、真ん中に定位するものはちゃんと真ん中に色濃く定位して、今まで一度もTAD(オーディオメーカー)の様に鳴らなかった重低音が、低い所から軽くフワッと色濃く余韻を伴い鳴った。
私はこうなる事を予感していた。低い低音が鳴らなかったのは、このボックスのせいではない。部屋の広さと電源と、そしてセッティングである。
理屈はともあれ、この音を鳴らした人の勝ちである。どんなに何Wだ、何dBだ、何Hzだ、何Ωだと騒いでいても、鳴らなければ意味がない。机上の空論を交わしても鳴らなければ意味がない。
音は、以前の何倍のスケールになったのだろう、笑わば笑えである。私はこの音を遂に鳴らし、手に入れたのである。
迫力は倍増したのに、さらに左右のセパレーションに優れ、静かな音である。そして開放的にのびのびしている。
しかし周りに、基本がなってないとか、色々言われ、正直うんざりした。大切なのは、基本は大切だが、良い音が鳴ればそれで良いのである。
「ところで貴方、人の意見は意見として聞き入れ、今は分からなくともいつか分かればそれでいい、もっと以前の様に輝いて、自分のポリシーを持ちなさい」と、家内に言われた。
耳が痛かったが、ごもっともである。ここ最近のやりとりで、オーディオが嫌になっていた。
そうだな、これで食べてる以上、良い音を鳴らすのが先決である。
音が良くなったおかげで、何とかまたケーブルを作る意欲が沸いてきた。
部屋はまだ鳴っていないが、とりあえず自分の音を取り戻せた。
部屋が広くなり、そこそこの音量が鳴らせる様になった今、正直もう怖いものはない。
やはり私の音は、私の音でしかない。それをしっかり鳴らすのだ。人の情報はありがたく参考にはする。しかし肝心なのは自分の鳴らす音である。それに責任を持たなければならない。
家内よ、JBL4560BKよ、過去の自分よ、二人のお客様よ、本当にありがとう。少し自分の音が鳴ってきたね、更に鳴らすぞ。
オーディオは使っている物ではない。感性と経験に裏打ちされた間違いのない技術である。そして僅かばかりのセンスである。失敗が成功を生むとも言えるかも知れない。ただ同じ過ちを何度も繰り返さないと言う事である。
自分のやり方にプライドを持とう。私は、改めてそう思った。