オーディオは半田とケーブルの音を聞いてる様なものだ
ちょっと深く考えてみた。見渡すと、とにかくオーディオは接点だらけである。基板を見ても部品のリード線が導通してる基板に刺さってるだけ、そこを半田で留めてる所が非常に多く、リード線が基板に寝た状態で基板に密着しその上から半田が乗ってる訳ではない。
特に最近のオーディオは、コストダウンの為か、ほぼ中国製である。安価な物ほど基板の半田は、見た目は綺麗だが、音に拘って作られてるとは到底思えない。
ならば、基板の導通してる所と部品のリード線を繋いでいるのは半田と言う事になる。ならば繋いでいるのは半田であり、皆さんはいかなる高級機であろうと、その音を聞いてる事になる。
更にもっと深く考えてみた。接点を更に倍率の高い顕微鏡で見てみると、実は粒子レベルで見た場合、実は半田も繋がってないのである。引っ張っても抜けないので繋がってると思われるかも知れないが、乗ってるだけで、やはり浮いているのである。
しかしただ絡めたよりも、ただ刺さったよりも、確かに半田は優れた接点処理の方法だと思う。
溶接のプロフェッショナルは、溶接も半田と同じようなレベルだと言っていた。一度切断された銅線または金属同士は、完璧に繋ぐ事が絶対に出来ないとの事である。
ならばやはりオーディオは歪みだらけである。しかしそれを、あたかも目より感度の低い耳で聞いた時に、歪みを感じさせないようにするのは個人のセンスと経験でしかない。深く考えてみたらこの結論に至った。
ならば、生の音など鳴る筈がない。極論は、らしくするしかないのである。オーディオはとても矛盾していて、凄くひねくれている。
そんな世界である。半田も吟味と方法が問題である。