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この記事は、2018年11月7日に、FC2ブログからこちらのサイト(https://we-spirits.jp)へ
移転したものです。

私はどうしてもJBLだ

何故私がJBLを好きなのか、これは私の勝手な解釈で、鳴らし方にもよると思うが、演奏者に近い距離で聞いてる様な感じがするからだ。
それはつまり録音された音に近いのではとも思う。
私はいろんなメーカーのスピーカーを使ってきた、でも結局いつもJBLに戻ってしまう、と言うより何を使ってもこの音を求めてしまうのだと後で気が付いた。
それはズバリ、ジャズをかぶりつきで聞いてる様な強烈な打撃音だ。
愛する我がJBLよ、総てはこのスピーカーの為に。私は最近急にあまりオーディオをいじらなくなった。少し客観的に聞き込んでいたのもある。
今の部屋は狭くそろそろ限界になったようだ。
なんと六畳程しかない、部屋が狭くても努力して今はそれなりに鳴ってるが、いま以上に上手く鳴らすにはやはり距離が足りない、今はなくなったが、少し前に階下から苦情が来てから少し気分が萎えていたのも確かだ。
それと狭い部屋ではスピーカーを動かすのも大変だし、賃貸マンションなので何にも出来ない、この部屋でのオーディオはもうしゃぶり尽くした、そんな思いがある、ジャズならばかなりのレベルで鳴っているのではと自分では思っている。しかしこの狭い部屋で私は十年間たくさんの実験や作業をしてきた、広い部屋になってもこの経験は別の意味でいかされるだろうと思う。
部屋が広くなったらそれはそれで別の難しさがあるだろう。
簡単ではない、それは分かっている、私は結婚して実家をでて、流山市に住んでいた、その部屋はリビングが16.7畳のフローリングで、総て固いカーペットを敷き詰めた、かなりライブな部屋で少しでも反響を抑えたかったからだ。
隣との壁も薄いようだったがこれはどうにもならない。
音の良い部屋の条件は吸音が7割で遮音が3割である、平行面がないこと、つまりデット気味な部屋だ。
その部屋で音は今一つだった、システムも今とはかなり違い、JBLをツーウェイマルチで鳴らしていた、鳴るのはやはりジャズだけで、それすら今のようには鳴っていなかった。
ボックスも今はなくなった秋葉原のラジカン清進商会で作ってもらったアルテックの816C(4560のホーンの上がないような形)にJBLの2205Aを入れて、そのボックスの上にJBLの2420とホーンは2345をのせて、2000Hzカットで聞いていた、今からすると変な音だった、ボリュームを絞れば痩せて、ボリュームを上げたらこもっているのにうるさい、聞いてて嫌になった。
ようはたんに当時の私が鳴らせなかっただけの話だと今は思う。
アンプはGASのテァドラとアンブジラⅡAになり、リンのプレーヤー、ソンデックLP-12は以前使っていたテクニクスSP-10MKⅡに逆戻り、キャビネットはレッドコンソールになりアームはFR-64Sになり、カートリッヂはオルトフォンSPUゴールドリファレンスと同社のマイスターを所有していた、色々頑張ったが、いくらものを変えても音は大して変わらなかった。
オーディオは物ではない、その頃気が付いた。
そして地下鉄サリン事件のあった年に私は四年住んだ流山から世田谷に引っ越した、その頃にはそれまでにさんざん購入したケーブルが山の様に部屋に積まれていた。
家賃は高くなったが部屋はかなり狭くなった。
10畳のコンクリートの頑丈な床にやはり私は固いカーペットを敷いた。
この部屋は、前より床も壁も格段に良くなった。
その部屋で色々試していた、その結果これはケーブルだと思い、色々探していたのだ。
そして、都内近郊のオーディオショップでウエスタンスピーカーケーブルと出会うことになる、太さは0.8㎜でスズメッキされていて、単線であった、ホワイトと薄いグリーンの被服で軽く捩った何とも音の良さそうなケーブルだった、それまではベルデンのみなさんご存じ、オレンジプラックの強く捩ったのを使っていた。
早速スピーカーの内部配線を替えて聞いてみた、目から鱗の音だった、それから私は極太ケーブルは紆余曲折あったが音が悪いと思うようになった。
でもまだ私はこの時ぴかいちラインケーブルとは出会っていない。

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