ありがとうと床の響き、そして両親の協力。
今日はオーディオとはあまり関係のないお話しですが、オーディオとも繋がる、暫しお付き合い下さい。
最近、自分がとても狭くて小さな人間だったと感じる。「ありがとう」その言葉がなぜもっと心からでないのだろうか?そう思ったのである。
すいません、申し訳ございません。裏を返せば、総てはありがとうになる。ありがとうと、すいません申し訳ございませんは、別の方向からみると同じ言葉に感じる。
では、教えてくれてありがとうになる。しかしそれをすいませんや申し訳ございませんで済ませてしまっては、何の意味もないのではないか?。
日々の忙しさに追われ、見えなくなっていた。
自分は少し、軽々しく返事をしていないか?と個人的に感じた。そして、自分の人生と照らし合わせてみた。
人間は…ありがとうが、心から本当に言えたなら、本物である。
しかし、私もふくめ、みんなありがとうの意味を間違えている。何かをやってもらったから、その対価で、お返しにありがとう!!ではないのである。
何かを忠告してくれて、ありがとうなのではないか。それはなぜか?貴方がどうなっても構わないなら、相手もトラブルを避け、わざわざ嫌われるのを承知で、忠告をしない筈である。こう考えていたら多分トラブルはない筈である。
ここは思いやりの国、日本である、もっとありがとうがあってもいいのではないか、ふとそう思った。
ありがとう。これ以上良い言葉はない筈である。
そして、昨日、両親の協力もあり、オーディオシステム総ての床を強化し響きを良くする為に、大量の木材を家内と購入してきた。そしてこの木材を木工用ボンドで張り合わせ敷き詰める。
これがウエスタンスピリッツの第二段階の作業である。階下の為の対策ではなく、 更に優れた音にするための、最終手段でもある。
いつも独りで、部屋にこもってやってる様に書いてはいるが、今回の様に両親の協力もあっての事である。人間独りでは何にも出来ない。
父よ母よ、そして、家内よ、本当にありがとうございます。