オーディオケーブルは文章で真実が伝わらない
このブログから読まれた方へ、ウエスタンスピリッツとは、オーディオケーブルを徹底研究して作っている会社です。そして、どう書いたら上手く伝わるか考えて色々書いてきた。しかし、文章は、なかなか伝わらない。
20年位前に、東京の世田谷の宮坂と言うところに住んでいた時、まだオーディオ販売店に勤務していた。
高級オーディオを販売していた。その頃から秋葉原の衰退ははじまり、もっと景気が悪くなる前に、私は見切りをつけ秋葉原を後にした。
その時のお客様に総て連絡をとり、秋葉原では出来なかったもっと出来る限り、細やかな対応をしたかったのである。
そして、たくさんのお客様から、「貴方はオーディオに詳しい、売ってるケーブルを遥かに飛び越える様な、胸のすくような音質のケーブルを作れないものか」とのご質問がとても多かった。
それから色々ケーブルを探し歩いては購入し、色々作ってみた。市販のケーブルでは、切り売りされたベルデンのケーブルが一番音が良かったが、まだ知識も経験もないので無半田の端子等を使っていた。しかし利にかなったケーブルは作れなかった。
それから一年後、私は再びアナログに目覚めガラード(ターンテーブル)に興味を持った。そして有名な所沢のヴィンテージオーディオショップに憧れのガラードを見に行った。
その時は、たまたま店主は買付でいなかった。しかし奥に、目の鋭い髭をはやした貧相な小さな男がいた。その方が東京近郊でウエスタンエレクトリック研究で有名なH氏であった。見るなりいきなり違った、話すと次元が違った「やっと出会ったな」そう思った。
その方には随分お世話になり、私は勝手に、H氏を師匠と決めた。ケーブルやトランスや聞き方をたくさん教わった。当然H氏は、ウエスタンエレクトリック一辺倒である。使うケーブルは総てウエスタンで単線派だった。今でもH氏に作っていただいたウエスタン単線ケーブルは複数所有している。
そこからウエスタンスピリッツは、たくさんの経験を積み、今のリッツ線に発展したのである。
とにかく研究してるのがオーディオケーブルである以上、大切なのは音である、理屈ではない。しかし、音の優れたもの(ケーブル)がなかなか作れない。
どうしたものかと考え、様々なお客様の現場を経験してる内に、世間のオーディオが自分のシステムの様に鳴っていない事に気がついたのである。
これは、オーディオメーカーがしてきた事の尻拭いをしなければならないと思う様になった。
とにかく世間のオーディオの音は、かなりのマニアも含め、音が重症である。オーディオはオタク性の強い独りだけの趣味なのがいけないのだと思う。
いつも自分のシステムだけを満足して聞いているのでなく、一枚のソフトを決め、それを忘れずに持参して、そのソフトで他人のシステムをたくさん聞いてみる、これが大切である。
井の中の蛙にならない様にである。知らずに語るのと知ってて語るのとは意見に絶対的な差がある。そして、オーディオフリークが、本当はどんな音を求めているのかを正確に掴まなければならない、そう思った。
そして行脚をしてる内に、総てのオーディオシステムがエネルギーロスを起こしている事が分かったのである。
そこそこの音を鳴らしてる方の共通点はただ一つ、システムは元より、ヒューズを外し太い単線を繋げていたり、端子やコンセントがとても綺麗だと言うことだった。
少しでもエネルギーロスを回避してるのである。私もそうだが、家屋のプレーカーの端子を総て磨いたと言う事である。この共通点は音の優れたシステムが必ず通っている通過点である。
危ないので一般的でなく真似をするならば、個人の責任に置いて行っていただきたい、ウエスタンスピリッツは一切の責任をおわない。音は静かになりエネルギーに満ち溢れる。
そして色々な経緯があり、ウエスタンスピリッツは現在に至る。簡単に今のリッツ線を作れた訳ではない。
ウエスタンスピリッツがなぜ今のリッツ線になったのか簡単に書いてみたが、ご理解出来るだろうか?リッツ線とは、表皮効果の理論とは異なり、高域だけの効果ではなかったと言う事である。
作る人が違えば、またその目的や目標が違えば、全く違うものが出来上がる。当たり前の事であるが、それがブログではなかなか上手く伝わらないのである。
と言うより、伝わりづらいと言った方がいいのかも知れない。
ウエスタンスピリッツにはホームページが存在する。しかし、私はパソコンが出来ないので、このブログも携帯から毎日更新している。
ウエスタンスピリッツのホームページは、今でも存在するが、過去に書いた言いたい放題と言うのがある。以前はブログの情報がなかった為、手書きで紙に書いて、文章の言葉が汚かった為、家内に渡し文章を訂正してもらいながら更新していた。
毎月更新する筈だった言いたい放題が、全く更新出来なかった。なので今はfc2ブログがあり、快適なのだが、やはり私の文章はあまり一般的ではなく間違いも多く、上手く伝わらないようである。
音や音の変化を、文章で伝えるのが難しいと言う事である。ましてや世間のオーディオはまともに鳴っていないのである。誰も真実を知らないので語らない、なので尚更伝わりづらいのだと思っている。でも私は、いつまでも書き続ける。