施設の先生から母の病状の説明
2週間前母の入所している老健から連絡があり、母のこれからと病状についての説明をしたいとのこと、昨日伺い医師の説明を聞いてきた。
いわゆる施設の身の保身と看取り『最期の時』に関してのお話しだった、今日の母は比較的良い方だった、施設のみなさんのお話しでは出された食事は拒否して全く食べない、軽い糖尿病、心臓、腎臓これらが弱って来ている、高カロリーのゼリー状のものしか口にしない、しかも自分から食べるのでなく、介護士が与えると食べる、そんな感じみたいです。
話しを聞いて総合すると、いつ何があってもおかしくない状態しかし個人差があるので全く分からない、まるで生きる気力を失ってしまったような感じです、今は無気力ですが少し良くなる可能性はありますが、今までそんな考えや期待の総ては全部裏切られて来ました、もうあまり期待せずこちらは出来る事を粛々とやっていきます。
施設へ着いて母の元へ行き母の手を触ってみました、柔らかく暖かかかったです、そして母は私の冷たい手を握ったり胸に持っていき温めようとしました。
私は生涯今日の母の手と胸の温もりを忘れる事はないでしょう、母は私の事はもう忘れてる、覚えてるかな?とたまに思いますが多分もう覚えていません、しかし心の芯の部分はやはりまだ親子なのです、今日は明らかに息子である私の身体を気遣い冷たい私の手を温めようとしたのです。
私は今日母から無償の愛を受けました、私が『ありがとう』と言うと頷きまた遠くを見つめていました、そして、あっかんべーをするとまた少し笑った気がしました、次の瞬間また遠くをボーッと見つめていました、そこにはもう何の感情も繋がりも感じません。
まだ四年ほど前は母と一緒に、我が家から1キロ程のところにあるホームセンターまで歩いて行ってました、私はこう思っていました『後何度この道を母といっしょに歩けるだろうか』と。
繰り返し振り返ると母は私が42歳の頃から認知症だったのです『何でもっと早く気付いてあげられなかったのだろうか?』と思います、因みに家内や御近所さんは何となく気付いていました。
『私は母が認知症であることを認められなかった、認めたくなかった』親子だからです、そして『母さんは必ず良くなる』そう信じてました、そして過度の期待をしました、でも期待は全部裏切られそれでも諦められない、それは親子だからです。
親子が故に期待するのです、しかし家内に言われました、期待するから頭にくるし貴方まで疲れてしまう、あまり期待しない方が母さんの為かも知れない、実際家内が言ったとおりでした、しかし期待しないとは見捨てる事ではありません。
人生は一度きり、時は戻らずもうやり直しは出来ませんが、これから私は母を見守りたいと思います。
母よ、あなたは私を大きな愛で育ててくれました、後はただ穏やかに過ごして下さい、また近々行きますよ。
男にとって母親は理屈抜きで絶対的な存在です、この感情だけはどうしても文章にはなりません。
後何度母に会えるだろうか。