あまりオーディオを聴かなくなった
最近違和感がないのです『音質改善の為の秘策を探し聴いていたのかな?』そうも思いますがそうでもないのです『聴きたいソフトがないのかな?』これも違います、『オーディオに飽きたのかな?』絶対に違う、以前は朝から晩までずっと音楽を聴いていたのに…
以前師匠が話していたのを思い出しました、その内容とは『オーディオが上手く鳴るようになると何故だかみんなあまりオーディオを聴かなくなる』と、そうとも思いますが私はそれとも違う。
色々考えてみましたがその原因が分からないのですが多分こうです、夢をもって今の家が完成しこれからと言う時に両親の介護が始まり、ほどなくして父が亡くなり、それから母の認知症が日増しに進みました。
そんな母も今は老健に入りお世話になっており、もう母の認知症は治る事はないと悟りました、ようは総て諦めて来た訳です、何にせよ前向きで諦めると言う事を知らなかった私は前向きな感情に蓋をしてしまったのだと思います。
かといって両親のせいにしたくはありませんが、色々なものを犠牲にし守ろうと努力したのに諦めざるをえなかったのも事実です、でも我々夫婦はしっかり手を結び八方手を尽くし頑張ったと思います、亡くなった父は帰ってこない、母の認知症は良くなる事はない、そこに去年からの足腰の痛みでジッとしてるしかない状態に追い込まれていました。
人間諦め続けているとそれがある程度解決した今、虚脱感のような気の抜けたような状態になります、足腰の状態はもう治ったと言って良いでしょう。
ホッとしたと思った瞬間私の心を支えていたネジのような支えが外れた、今はそんな感じです、しかし心が病んでる訳ではないのです。
この私がオーディオを飽きたとは到底思えません、心の中の何かに決着をつけ決別してまた動き出す、そう思います。
あまりに諦めた事がここ数年の内にたくさんあったので、他のものを見てオーディオと繋げる事が今は出来なくなった、そう理解したのです。
色々自分を奮い立たせようと努力したのですが、今はまだその時ではないようです、目の前にある小さな川を跳び越える事が出来ればと思うのですが、今はまだ時期尚早なのだと思います。
しかし私が勝手に思ったり感じたりしてる事は自分が基準でこの世は幻だと思います、私は父の死や母親への対応(介護)が本当に正しかったのかずっと悩んでいたのだと思います、しかし人生に答えはありません。
そして明日また日は昇る、さあそろそろ悩んでいた自分を解き放とう。