分からない人に話しても分からない
人は自分の経験で得た知識でしか生きられない、目、耳、鼻、口、肌、そして脳、それらを駆使して生きている、つまり脳に蓄積されたものに再度出会った時、人は過去の記憶をたぐり寄せ感じている、始めて出会ったものは感激するか落胆するかどうでもいいかに尽きる、もっと言えば好きか嫌いかで脳にインプットされてしまいます。
そして経験済み以外のものに出会った時、人は戸惑ってしまう、しかしそれを理解しようとするかしないかで人格も大きく変わる。
ようは話しを聞いて自分の能力の中でいかに理解しようとするかが問題ではないでしょうか?しかし理解力の中でしかないのでいくら親身になってお伝えしても分からない方が殆どです、保守的で色々繋げて先へ広げようとしないからです。
だから何時まで経っても分からないのです『いくら高価なものを使っても使う人が駄目ならオーディオは上手く鳴りません』パソコンと同じで、使う方の能力以上にはならないのです、こう聞いた事があります『人の脳は本来の能力の1%も使えていない』ならばパソコンも同じです。
分からない自分を認め理解しようとすることが大切であり、優れたものを探し使う事がオーディオだと思っている方が殆どです、それも確かに大切です、しかしそれは磨けば光る原石を見つけただけ、使いこなし磨く事が大切だと言う事を誰も理解しようとしない。
音質改善もそうです、取り組む順序が大切であり、それらを間違いなく丁寧に重ねて行く事で完成した時、天と地ほどの差になることを私は今実感しています、オーディオは人の作ったものであり、天と地ほどの差とはほんの僅かなのです、回路的には総て完成されている、ならばそれらをねじ曲げる事なく鳴らしてあげる、これに尽きる、私はそう思います。
スペックではなく耳で聴いた上に於いていかに本物らしく鳴らせるかどうかです、極論CDPやアンプを高級品に買い換えたところで皆さんが思ったり話してるほど大きな差にはなりません。
ワインと同じで、何千円のものと何百万円のワインを目隠しで飲んでみて貴方は本当に分かりますか?私にはある程度分かります、たくさん飲んでみて基準があるからです、しかしその基準は簡単に人に伝える事が出来ません、伝えたところで基準がないからです。
簡単に話すとワインは寝かせた時間と葡萄の種類と収穫の年がイコール値段になります、しかしそれもただ原石を見つけただけ、やはりセラーで寝かせ落ち着かせ磨かなければ美味しいワインにはならないのです。
しかし最近ワインは作り手もドサージュ(色々混ぜて味と風味を作る事)が上手くなって来ました。
それはまるで昨今の高級オーディオと似ている気がします、しっかりした蔵(地下のカーブ)で温度と湿度を管理して寝かせる時間がワインの味や値段に反映されるのです。
高級ワインは特別なものでなく、当たり年の葡萄で作って寝かせた時間と手間暇がかかってるから高価で価値が決まるのです、高級なワインをのんで『値段の差ほどの価値はないね』こう話される方が殆どですがそうではないのです、ワイン好きはその僅かな差にお金を支払うのです、オーディオも同じです、確かに値段値ないのかもしれませんがそこが重なると大きいのです。
しかししっかりしたカーブを再現したようなセラーでワインを保管した事のない方にはやったことも飲んだこともないので分からないのです。
オーディオはワインととても似ています、しかしやはり分かるか分からないかに尽きるのです。
ご自分の財布の中身と照らし合わせ今本当に必要なのかよく考えましょう、そしてご自分が本当に分かっている人物なのかよく考えましょう、しかしなかなか分かっていらっしゃる本物と出会えないのも事実、分かってない方に真実を伝えるのは至難の業です。
それは能力が低いのでなく、まだアイテムが脳にインプットされていないだけだと思います、色々書いて来ました、私は鳴らしましたその私の経験を試していただきたいのです、しかし一度どんなものなのか見て聴いてみてもらいたいのです。
ただブログを読んでるだけでは私が本当にお伝えしたい事は伝わらず、ただ想像だけが膨らみ理解は難しいと思うからです。
実際会って話してもなかなか伝わらない、ましてやブログになるとそれは最早不可能と言わざるを得ない、もっと上手く伝わるブログを書けるようにならないものかといつも考えております。