ジャズ喫茶
相変わらず一関のベイシーが有名です、そして昔、東京の下町門前仲町に、ジャズタカノはありました。
初めて伺ったのは、確か二十三歳の時、同じお店で働く元ミュージシャンでサックスプレーヤーだった先輩に連れられての事でした。
乾いた音で耳が千切れそうな、帯域バランスの崩壊と芸術の狭間のような、クサヤのような音でした。
しかし奏者の魂が浮き彫りになったような音に惹かれ、何度も通いました。
その頃私は自分の音にも納得いかず、鳴らす音も今からすると酷いものでした。
何年か通う内タカノさんとオーディオを語る仲になり「たまにはクラシックの派手なレコードをかけてドンシャリやりたくなるよね」との事でした。
そこから数年私の足も何故だか自然と遠のき、勤務先も変わり、店頭にたっていると、タカノさんが来られました。
知らなかったのですが、タカノさんは昔からそのお店のSさんのお客様だったのです、その時久し振りだったのでお互い懐かしく、タカノさんはSさんより私とたくさん話しました。
Sさんは、私とタカノさんのオーディオの話の内容にとても驚いていました。
お店の音を何とかしたいとの事でした、しかし私は何時でも行けると思い、すっかりタカノの存在を忘れていました。
そして色々あり時代も変わり、自分のオーディオの方向も見えかけた頃、住んでいた世田谷からタカノへ行ってみたのです。
まだ看板はあるものの、二階へ上がる階段のドアは閉まり、ジャズは聴こえて来ません。
それから何度か行きましたが同じ状態、何となく嫌な予感がありました。
そして何年か経ったある日、ネットで知り合った方からタカノさんが亡くなり、お店も閉店されたと聞きました。
「遅かったか…もうあの音は聴けないのか」タカノさんはとても細く、何時もGジャンにGパン、白髪混じりで神経質そうなシャイな方ですが、たまにニャッっと笑った笑顔が今でも忘れられません。
タカノさんは晩年、とても素晴らしい音を鳴らされたと聞きました、今は若い方がたまにタカノの機材をメンテナンスして、たまにお店をあけてると聞きました。
しかしもう真実は分かりません、また聴けるとも思えません、伺ったところでタカノさんが鳴らした音は聴けません。
タカノさんも居ません、またあの様な粋な会話ももう出来ないのです。
今日は朝から暑く、真っ青な空を見ていて、ジャズタカノを想い出しました。
ジャズタカノは有名でしたが、何故だか知らない人も多いのです。
あのような音を鳴らすジャズ喫茶は、もう東京にはありません。
しかしジャズ喫茶は、また新たに開店したり、閉店したりしていますが、何かが違うのです、来ているお客様の雰囲気もがらりと変わりました、懐かしいですが、もうジャズ喫茶の時代ではないのかもしれませんね。
私も年齢や時代と共に変わりました、でも心の中にあるジャズタカノは変わりません。
音が大きくささくれ立って、お客もとても危ない雰囲気でした、元全学連だったような方々が、長い髪を振り乱し頭を左右にふりながら聴いていました、でも私はその雰囲気が好きでした。
タカノさん、本当にありがとうございました。