性格は音に出る
ゆっくり考えて動き出す人、あまり考えず次から次へとせっかちに動く人。
様々ですが見方を考えれば、ちがった一面がみえます、ゆっくり考えるのでなく行動が遅い、あまり考えずに次から次へとせっかちに動く方は行動が早いとも言えますがポカも多い。
私は常に考えて答えを出しています、そして動き出したら早いです、何かをやる工程は常に頭の中にあり念のためノートに書き出しております、それでも途中で変更を余儀なくされる事があります。
若い頃はあまり考えずに行動していたため、ミスが多かったので、結局最近になってそれらを丁寧に直したと言った方が良いかもしれません。
今は工具も手に合うものを揃え、ネジ等も妥協なくいいものが見つかるまで探し、作業を始めます。
それがいかに大切なのかを骨身にしみて分かりました、オーディオに妥協は禁物です、少しずついい加減な所がつもりつもって、エネルギーロスや歪みとなり、音にハッキリ出るのです、そしてどこが駄目なのか観察して気付かなければなりません。
今までそれを私は前後関係と話して来ました、大した事のない筈の細やかな所が重なり大きな差になっていたのです。
「まあ今回はこの程度でいいや、後でゆっくり直していこう」これが一番いけない事を思い知らされた気がいたします、忘れてしまうのです。
そして如何に相手がプロでも私は頼みません、それは何故か?本当の意味で私の思ってる精度に仕上がらないからです、つまり相手と私の間にレベルの差があるのです。
しかし旋盤やフライス盤は危険なので、仕方なくお願いする事もありますが、必ず後に細かな手直しが必要になるのです。
なので大体は自分の経験と技術で補っています。
私は多分人が三十年かかるところを大体ですが、三年位で出来る自信があり、実際にやって来ました。
思い描いたものをしっかりした形にする為には、経験と才能そしてセンスが必要です。
以前は全く出来なかったものでも、色々経験してる内にあっさり出来てしまう事もあります。
その為には色々な方向から見つめる癖を身に付けなければなりません。
私の場合オーディオケーブルの絹巻きがそうでした、嘘だと思うなら、手芸屋さんへ行き、6号の絹糸の太さを見てみて下さい、私は4号でも、機械で巻いたより強く隙間なく0.3ミリの太さの単線に巻き付ける事が出来ます。
普通は絶対と言っていいほど無理です、これは私が優れてる訳でなく、たまたまこの仕事が私に合っていたからだと思います。
この絹巻きの作業だけは頭で考えても出来ないのです、なので伝える事が出来ないため、後継者がいないのです。
何人がウエスタンスピリッツの門を叩いたでしょう「私には絶対出来ます」みんなそう言ったのに…
見た目は確かにそっくりです、しかしケーブルとして出来上がり繋げてみると、まるで音が違うのです、私はご本人に聞きます「これってウエスタンスピリッツのケーブル?」と。
「駄目だ、何本作っても出来ない」と分かるのです、次第に自信をなくしてしまいます。
そして「指が痛くてもう出来ません」そんな事はこちらは先刻承知の事「ねえ?できないでしょう?」と諭すしかないのです。
そして「どうしますか?まだ頑張りますか?」と聞きます。
「頑張る覚悟を持って来ましたが、やはり到底無理です」私は「やっぱりね」と思うだけです。
気合いや根性だけでは出来ません、私は初めから師匠に「ひたすら強く綺麗に巻け」と教わりました、なので指が絹糸で切れたり、豆が潰れて痛くなるのは当たり前だと思っていました、来られた方にも同様にお伝えします。
事実そうでしたが、
とにかく音の良いケーブルを作りたい、その一心で作って来ましたので、苦痛には感じませんでした。
私はもう絹巻きケーブルを約三十年作り続けております、その私の作るケーブルと比べる方がどだい無理な事なのですが、勝手に自信をなくし、落ち込んで去っていくのです。
別にその方々の能力が劣る訳でなく、私はたまたま向いていただけ、そう思っています。
そして今思います「伝承は半分も出来ない」と、技術もありますが、やはり心なのです。
今はもうそのお店はありませんが、とても美味しいラーメン屋さんがありました、毎日行って食べていると店主と仲良くなり、色々お話ししたことを思い出しました。
「若い奴はラーメン屋でもやろと思い勇んで修行に来る、百人来ても本当は一人も育たない」と。
こうでした、ラーメンの茹で加減やスープの作り方以前に、皿洗いやホールの仕事が出来ないと、お店が出来ない。
色々見てきたが、使われ方が上手な奴は、人を使うのも上手いそう話していました、つまり使える奴は、人を使うのも上手い。
自分ならばどの様なお店が好きで、どの様なラーメンを食べたいのか、そしてどの様な応対をしてもらいたいのか?それを心に持っている、これだけは素質であり教える事が出来ない。
出来る奴は教えなくても修行中にそれが理解出来る、
これらを理解出来ると不思議と味もついてくるとの事でした。
ご主人はこう仰いました「何でも同じだよ、ものを想像して作る、そしてお金をいただく」ならば基本がしっかりしていなくてはならない。
「私の作ってるケーブルと同じです」と話すとご主人は「俺に音の事は分からないけど、一度あなたのケーブルを見てみたい」と言われ、持参したことがありました。
「これは職人の仕事だ、手で巻いて作ってるの?」と聞かれました「そうです」とお伝えしました。
その時の事を思い出しました。
私にも出来ない事はたくさんあります、寧ろ分からない事や、出来ないことだらけです。
人には努力しても、出来る事とどうしても出来ない事があるのです。
しかし今出来る事、やらなければいけないこと、それだけは怠ってはいけません。
急がなければいけないのか、後回しで良いのか、しかし人間は今出来る事から粛々と片付けていく事が大切。
いくら仕事とは言え、生活の基盤があってのものです、それを越えるものなどどこにもありません。
因みに私の好きなラーメンとは、スープが透き通っていて、脂も適度に浮いていて味のしっかりした、昔ながらの醤油か塩ラーメンです。
最近先ず出会わないですね、強いて言えば、飯田橋のびぜん亭のちゃーしゅーめんですかね。
話は戻りますが、基本を飛び越えてはいけません、そして一人一人の性格は音に出るものです。
オーディオを楽しみましょう。