ケーブル検証の順番は下流から上流へ
つまり全部のケーブルを作り、繋ぎ判定しているときの事である、今回のケーブルが完成してウエスタンスピリッツのシステム全部のケーブルを新たにしようと思った、あまりにも素晴らしかったからである、しかし何を勘違いしたのかまずプリアンプからチャンネルデバイダーまでのピンケーブルから繋いで聴いて行った、全ての音楽信号がそこを通り全体に振り分けられると思ったからです、しかしよく考えてみるとスピーカーの内部配線から先に繋いで行くべきだったのではないかと後で思った。
考えた順序はパワーアンプからウーハー、ドライバーの内部配線そしてパワーアンプからドライバー、最後にパワーアンプからツィーターこれが第一段階、次に我が家はマルチシステムなので、チャンネルデバイダーからそれぞれのパワーアンプへ(低中高音)、次にプリアンプからチャンネルデバイダーへ、そしてアナログ、CDP、ネットオーディオへ繋ぐべきだったのではないかと思った、これを日をおいて順序よく、聴きながら行えば良かったのかもしれません。
その方が早かっただろうし、もっと一つ一つのユニットの役割が理解できたのかもしれません、今回舞い上がって少し順序を間違えたのではと思ったが、全て繋げてしまって、もう体力も気力も残っていないので、今回これでよしとしたい。
ケーブルで音が変わらない?確かに普通の市販のケーブルならそうかもしれない、散々聴いてきたがウエスタンスピリッツのように音だけに拘ったケーブルなど結局何処にもなかった。
しかし何処の段階でこの音の傾向になったのか?記憶の中では、スピーカーケーブルを取り換えた時と、チャンネルデバイダーから三台のパワーアンプへのピンケーブルを取り換えた時に激変したのであるが、あの時しっかり順序を踏まえていたなら、その答えはもっとはっきりしたものになっただろうと思った、なので正直かなり残念である。
これは大いに反省である、せっかくの大きなチャンスをみすみす逃してしまった。
しかし今鳴っている音はとてもグッドである、大音量も極小音量も何でも来いである、今聴いているのは2014年にバレンボイムがウィーンフィルを振ったニューイヤーコンサートの三枚組のレコードである、以前は勝手にこのレコードは低音も中音も薄くかったるく、好みでないと思っていた、今ならひょっとすると全く別物に聴こえるのではないかと予感めいたものがあったから聴いてみた。
思ったとおりだった、やはり気難しいウィーンフィルと仲の良いバレンボイムの指揮は素晴らしかった、聴いてみたバレンボイムのニューイヤーコンサートの三枚組のレコードはあっという間に終わってしまいました、最後のラデッキー行進曲は圧巻だった、そして客席の感極まったブラボー!の歓声でレコードは終わった、先日、これも上手く鳴らなかった2017年のニューイヤーコンサート ドゥダメルがウィーンフィルを振ったレコードがとても素晴らしく鳴ったのである、やはり以前のケーブルでは鳴らなかったレコードだった、それもやはり素晴らしかった。
このように鳴るようになったのは、新しいリッツ線に交換したからである、ある帯域が鳴る?鳴らない?で聴くのを私は良しとしないが、その全てがまるで違うのを目の当たりにしたのである。
だからウエスタンスピリッツケーブルで音は天と地の差になる、因みに沢山のケーブルはあるが、どれも低音や中音が薄いのです、よって高音ものびない、勝手に想像してるがケーブルは被膜の質とその作り方にあると思います、太さや重さはあまり関係ないと思った。
しかし被膜は測りようがない、理論的にもあまり語れない、これを何時か科学的に証明してみたい、だから私はセンスと言う言葉を使うのです、絹(シルク)や麻(リネン)は確かに良い音の被膜を作る事が出来る、リッツ線も理論どおりにはならなかった、やはり感じる、この感性が必要なのではないか。
とにかくウエスタンスピリッツは誰より素敵なオーディオケーブルを作りたい一心だった。
そして夜家内が仕事を終え帰宅した、気になったので今度はカラヤンのニューイヤーコンサートも聴いてみた、私はアンチカラヤンのところがあった、どのレコードを聴いてみても『何故カラヤンはこんなにレコードが多く録音されたのだろうか?』と。
これがカラヤンだ!そのピカ一が我が家にはなかったからです、何のことはないカラヤンは多分全部名演だったのです、曲の中でテンポを早くしたり遅くしたりまるで作曲しているかのように振っている、そして言葉にならないが品がよい、それを初めて自分のオーディオは鳴らした。
カラヤンは色んな方々が賛否両論語っている、しかし真実はコンサートを聴いた人にしか分からないとも思えるが、評価した方のオーディオシステムが鳴ってるかどうかではないだろうか?
確かに全国オーディオ行脚したが何処にもしっかり鳴ったシステムはなかった、これが答えだったのではないだろうか?ウエスタンスピリッツで聴いたカラヤンは別格だった、やはり鳴らせないのは優れたケーブルを作れなかった私の力不足だったのだ、それが今になって完成して、それが分かるようになったのではないだろうか。
家内はこう言った『とんでもないケーブル作っちゃったね、でもこれで終わりではないよね?オーディオに終わりはないから』と、確かにそうです。
しかしカラヤンには逸話がある、ソニーのCDの一号機CDP-101を聴いたカラヤンは一言『これだ!』と言ったらしい、私は覚えている、実に人工的で酷い音だった、カラヤンにはその未来が見えていたのだろうか?
しかし今からすると当時のオーディオは酷いものだった、そんな事を深く考えていると、またチラホラオーディオの別の答えが見えて来ました、今回ウエスタンスピリッツの音が激変した、それはやっと真理に近づいたケーブルを繋ぎ換えたからだと思えてならない。
全てを繋いでるのはケーブルである、ずっと語ってきた、それがやっとかたちとなったのではないだろうか?