リコーダーの音
アルヒーフ、オワゾリール、テレフンケン等古楽器を録音したレーベルがあります。
過去のウエスタンスピリッツで、そのようなレーベルのリコーダーを小さな音量で聴くと、退屈であくびがでました。
今はそんな事はありません、更にひと皮むけたチャーミングな鳴り方をします、聴こえるか聴こえないかの音量で、家内と晩酌をしておりますと「これ以上何が必要なんだろう」そう思います。
個人的にテレマンやフンメルが好きで聴いてますが、その総ては以前は退屈で聴いていられませんでした。
優しいとか円やかとか、そんな簡単な言葉では言い表せなくなって来ました、かすかに聞こえるそのリコーダーの音は、実にハッキリしているのです。
ウーハーが主張する訳でなく、ドライバーやホーンが主張する訳でなく、かといってツィーター等鳴っていないかのようですが、確かに鳴っているのです。
かと言ってフルレンジのようなこじんまりとしたような鳴り方とも違い、岩の壁のかすかな割れ目から漏れて来るような浸透性があるのです。
たまに夜中に独りで聴いてると、鳥肌がたつほどその音は鮮明です。
そして大きな音量でジャズなどを聴いても、気持ち良くて眠ってしまいます。
しかし最近感じます、この遥か上に更なる頂点は存在する、ウエスタンスピリッツはまだまだ途上の状態でこの先がある。
しかし正直もう雛型がないのです、つまりそこまで鳴らした人の音を聴いた事がありません。
なので未知の領域です「もうこれでいいと思っていました、しかしまだ僅かな違和感を感じます」これを改善出来たらどのようになるのでしょう。
「このような鳴り方」それは私の頭の中にありますが、実際そこまで行ったとして、更に違和感が顔を出すと思います。
極端に考えると圧倒的なスピーカーボックスを作る事も思い付きますが、若い頃金属やコンクリートで作ってみても全く駄目でした。
色々考え突き当たる壁は「オーディオは録音された記録媒体を再生するもの」であり「アンプなど機材の回路は過去からの伝承」です。
「総て人が規格を決めて統一化したもの、デジタルもアナログもその域を越えてはいない」それを越えると規格外になり、帯域バランスが崩れる事になる。
オーディオはとうに終わっている、そうも思えるが、その規格内すら誰も鳴らせていない気がするのは私だけでしょうか?
数年前こう思いました、オーディオはCDのピックアップやカートリッヂの針先が拾った音源を、何十キロ先のスピーカーまで増幅を続けながら送り続け、アースへ落ちる。
その総ては交流であり、プラスマイナスの中に双方は存在し、回路を構成する為、膨大な部品点数と接点が存在する。
そしてそれぞれの機材を繋ぐのに必要なケーブルが必要だが、そこにも接点があり、ケーブルの作り方や素線の質も音に影響しました。
ならば出来る事は限られています、スピーカーの帯域バランスを調える為に、音楽信号をしっかり次の機材へ伝える為のケーブルを完成させる。
そして再生する上流の機材を正常動作させる為に、スピーカーの下やラックや機材の下に自分なりに音の為に選んだ木材を敷いてしっかりさせました。
それでも尚まだ違和感があります、という事はまだ他にも問題ありなのか、この辺が限界なのか、まだ他にも色々やってみたい事があるのです。
世の中には極限と思える程凄い事をやってるシステムが沢山あります、色々聴かせていただきましたが、実際に鳴った音は???でした。
リコーダーの音の話から壮大な文章になってしまいましたが、リコーダーの音を違和感なく再生するのはとても難しいと思います。
ウエスタンスピリッツもまだまだですね。