夢みる頃を過ぎても
私事ではありますが、今年の七月で還暦(六十歳)です、ずいぶん歳をとったものだ、もうあまり無理は出来ない。
最近そんな事ばかり考え、若い頃の事ばかり振り返っていました。
突然思いました「俺はまだ若い、そしてまだまだ夢の途中ではないか」そう思いました。
まだやってみたい事使ってみたい機材、もっと色々知りたい、そして一旦購入したが手放してしまったワインやシャンパーニュをもう一度購入したい。
オーディオルームももっとしっかりさせて広くしたい、その為にはもう一軒家を建てる必要がある。
その為にはまだまだやらなければならない事がたくさんある、しかしやらなければならないこと、出来る事からまた動き出そう。
終活などと言うものは私の中にはない、最近自分のブログにパンチがない、読み返してうんざりする事がある。
今の家が新居だった頃の私は、両親の介護もあったが、ブログを読み返してみても、文章に力があった。
最近のブログは過去を振り返り、まるで自分のオーディオがもう終わったかのように書いている。
「この程度で良いのか、もっと異次元のオーディオ構築が目的だったのではないか」そう思った。
そしてネットオーディオでスポティファイを聴いて、いかに今までの自分は知らないソフトがあったのかを思い知った。
感じ方は人それぞれだとは思うが、人は人、自分は自分、である。
そしてこう思った、自分が楽しいと思った事を書いてもなかなか伝わらない、ましてや今の自分の文章では魅力がない、そう思いました。
つまりそれが文章に出ていると感じたのです、過去は確かにノンフィクションです、しかし未来は創造するもの、つまり未知でありワクワクします。
どうなるかなんて考えていても誰にも分からない、ならば前を見ようと思います。
経験したことばかり考えてるから時間は無駄に過ぎ、一日や一年が短く感じる、未知の世界は経験がないので道のりは長く感じ、時間もゆっくり流れると感じたのです。
人が自分の時間をどう使おうが私には関係ない、私は更に未知の世界へ行きます。
道は自分で切り開くもの、人の事を考えてる余裕はありません。