追及し続ける事の意味
個人的にとまれない性格です「己が納得するまでとまってはならない」これが私の主義です。
いったんとまってしまえばそこから妥協が始まり、結局は総て中途半端で終わってしまうのでは、そう思うのです。
人間結局は何にもなれず終わっていく、それが普通の方の一生ではないでしょうか。
でも私は何とかオーディオケーブル製作者の端くれになれました、これが私の天職です。
それは意識の問題で、勤め人でも会社経営でも全く同じだと思うのです。
要は何をやったのか、どの様に生きたのか、そこにあると最近思う様になりました。
昔は趣味でやっていたオーディオですが、仕事にするとつまらなく思えた時期もありました、でも今は違います、好きな事を仕事にするのは確かに大変ですが。
好きな事だから乗り越えられる事もあるのです、一般の方にはオーディオは趣味です、しかし、私にとってオーディオは仕事なのです。
それ故の厳しさも苦しみもあるのですが、善き音を求め、苦しさを通り抜け、やり抜いた時の達成感がたまらないのです。
なぜオーディオはこんなに音が悪いのだろうか?なぜ自分が意図したように鳴ってくれないのだろうか。誰しもそう思うでしょう。
でも、素直にそれを認めると、私は個人的に楽になり、音質改善の道が見えたのです。
オーディオの音を良くしたいのであれば、オーディオだけを見詰めていても答えは出ません。
哲学的な話になってしまいましたが、色んな言葉がありますが、結局答えはどこにもないのです。
しかし、明らかに良い悪いで比べて行くと、圧倒的なものが存在するのです。オーディオで言うところの王道だと思います。
逃げのオーディオ、攻めのオーディオ、どちらでも良いと最近思います。要はどれだけの方にご賛同をいただけるかです。
自分だけが良いと思うのでなく、いかに他人の耳を魅了出来るか?ではないでしょうか。
個人的に、オーディオを追及し続ける意味はそこにあると思うのです、でもそれが難しいのです、常に自分との戦いです。
諦めません。