最近オーディオを聞かなくなった
このお話は少し前の事で、今は元気に復活して、更に先にへ進んでいる。
走り過ぎた、少し疲れて来たのもある、それとマッサージの先生に、貴方は少しの休養が必要と言われた。
振り返り考えてみると、引っ越して来てから、止まらずひたすら走り続けている。
こんな状態ではオーディオも妙な方向に凝り固まり、煮詰まってしまうと思った。オーディオはリピート再生しておき、少しオーディオから頭を切りはなそう。
私は過去から幾度となくこの状態を繰り返してきた、更に前へ進む為である。オーディオから頭を切り離すと、違う方向から次なる秘策が沸いてくるのである。
ソファーに寝転び映画を観たり、目的もなく近所を歩いている。それだけで色んなものが見えてきた。
その内の幾つかはオーディオと結び付きそうな気がする。
徹底的にやったつもりだが、オーディオはなかなか本物とは鳴り方が異なる気がするのである。
つまりまだまだ違和感があると気が付いた。クラシックコンサートで聞いた音は、もっと生命感やエネルギーが膨大にあるが、音が大きくなってもうるさくない。
そしてホールを含めた響きが美しい。つまり膨大なエネルギーがあるのに、オーディオの様に音が飽和しないのである。
オーディオはどんなにエネルギーロスを減らしても違和感があり、どうしても耳が特定の楽器に縛られる、これを何とかしたい。
二本のスピーカーが鳴っているのに、全くそれを感じない、大きな音量でも全く飽和せず、耳が特定の楽器に縛られる事のない異次元な友のサウンド、これに心は踊り強く憧れる。
それとも私は少しやり過ぎたのか?やり過ぎたが故に普通のシステムよりも粗が分かりやすいのだろうか。
いつかはそうなるであろうその鳴り方に日々挑戦してきたのであるが、オーディオは正に深い迷宮である。
これで良しとするには私にはかなり程遠いとつくづく思っている。友から私に伝えられた㎜単位のスピーカーのセッティング技術、感性に乏しい私にも出来るのだろうか。
こういうものだった。バッバのトッカータとフーガ 二単調、奏者カールリヒターのCDをケーブルをモノラルにして再生。
このCDを冒頭から30秒迄をひたすら再生し、全帯域真っ芯に奥行きを伴い、二本のスピーカーが消えたかの様になるまでスピーカーを僅かずつ動かしては合わせる。
とてもではないが考えただけで嫌になる。しかし、このセッティングが出来てないシステムは間違いなく鳴っていない。
そうステレオ再生は、二本のスピーカーが正しく置かれ、しっかり相互に手を結び、初めて録音現場の整理されたまともな鳴り方をするのである。お断りしておくが、スタジオはしっかり二本のスピーカーが正しく設置されている。
ここには既に好み等と言う逃げ口上は、存在すらしないのである。
そして繋がれ、オーディオのエネルギーの源となる電源やケーブル総ての端末処理の仕方やその端末端子の接触部の清掃、そして、スピーカーやラックの下の床や機材の下がしっかりしていなくてはならない。
簡単に首を突っ込んだオーディオだった。しかし、とんでもない大変な仕事だと気が付いた。趣味で関わっていたならば、もうウェスタンスピリッツの音は確かに飛び越えているので終わっていただろう。
しかし、たくさん聞かせて頂いてきた色んな方の化け物の様な巨大なオーディオの音の悪いこと。
世間は、お金をたくさん使って悪い音を鳴らす、99%間違いなくそのレベルなのである。
私は自分が優れてると思った事は一度もない。ただ人よりも性格が貪欲で粘着質なのだと思う。
何を購入したらどうのこうの、正直、もううんざりである。
音を良くするには、どこをどうしたら?ではないのか。私は主観でそう結論付けたい。そして更に先に行く為に、今、少し体と心のメンテが必要と感じた。
その前に少しツィーターの位置の調整をしよう、まだドライバーが強く聞こえるのは、多分ツィーターの位置であると分かって来た。これも更なる粗である。
でも休んでいてもこの様な思考状態では、なかなか心のメンテは困難である(笑)
しかし、ウェスタンスピリッツは、これからも多分止まる事はなさそうである。
異次元のオーディオ構築の為に。
私はただ一人私のオーディオをご理解していただける貴方の為に、これからも呟いて行きます。