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この記事は、2018年11月7日に、FC2ブログからこちらのサイト(https://we-spirits.jp)へ
移転したものです。

秋葉原。

私は昔、秋葉原の高級オーディオの販売員だった。
私が秋葉原にはじめて行ったのは、はじめてもらった給料でラジカセを買いに行った時だ、私はSONYが欲しかった、名前がカッコいいと思っていた、しかし買って帰ったのは東芝のボンビートだった。
はじめは何軒も回って一番安い所で買いたかったが、一件目でラジ館1Fの強面のお兄さんにつかまり一生懸命説明され、断れなくなり買ってしまったのである、多分東芝のマネキンだったのだろう。
今ならわかる。
話しは本題に入るが。
実に恐ろしい街だった。
オーディオがメジャーになり世間に出てきたのは、多分1973年頃の話だろう。
私が秋葉原へ行ったのは1981年だった、ベテランの人からよく聞かされた、昔はもっと売れたと、だから私が行った時は売り上げは既に少し落ちていたのだと思う。
特にサトー無線本店の輸入高級オーディオコーナーは凄かった、カタログに載ってる商品は総て展示され音が聞けた、みなさん信じられるだろうか、ハイファイステレオガイドに載ってるほぼ総てが展示されていた、まあそれだけ売れたと言う事ではないだろうか。
私はサトー無線のラジ館の3の2(三階二号店)にいた、凄かったのはカートリッヂの展示数である、安価なものから超高級なものまでたくさんあって売れていた。
中でも売れたのはシュアーとデンオンであった。
私はもらった給料で毎月カートリッヂを買い、石丸でレコードをバンバン買った、毎日楽しくてしかたがなかった。
しかし、やはり欲しかったJBLは高価であった、そして四階にあった中古屋さんで少しずつユニットを揃えていき、ドンドン増えていきエスカレートしていった。
やがて勤めていくうちに給料も上がり、バブルも来てメーカーからただで借してくれる事もけっこうあった、だから私は普通の人の何倍も聞いてきた事になる。店で聞いても真価は分からないからだ、借りたものを返そうとメーカーに話すと、そのままお使い下さいとなる。
自宅のシステムがドンドン変わっていった、しかしある時を境にふと気付いた、オーディオは物ではない、鳴らす人の器がそのまま音に出てくる事を、そして、使いこなしの難しさと大切さを私は分かった。
だからみんなかわいそうになる、私のように借りて自宅で試す事も出来ない、店に利用されてるだけ、それは今も変わらない、販売していていつもそう思った。店は、音を売っているのではない、個人の競争もあり、少しでも高いものを売ろうとしているにすぎない。当然、届いたら店で鳴っていたのとまるで音が違うと、むしろ買い換える前の方が良かったと言われるとガッカリする、それで私はそのスペックを最大限引き出すべく、実際に販売した方の部屋にいき使い方やその鳴らすテクニックをお客様に惜しみなく伝授していった。
私は音を売ることにしたのだ。
ようはみんな使い方がなってない、どうして自分がそれをチョイスしたのかすら分かっていない、実に大変だった。
そんな時を過ぎて時代は何となく変わってきてAVなるものに変化してきた、ナショナルやノバビーム等の三管式ビデオプロジェクターである。
レコードよりはCDになってきて、この頃たくさんのオーディオメーカーが縮小傾向になっていく。
私は嘆いた、とても寂しかった。
ビクターのザ、ビデオHR-D725、298000円が飛ぶように売れた。
その頃からオーディオは少しずつ確実に衰退していった。
私はスキルをアップするためにドンドン店を移っていった。
私は秋葉原を二、三年離れた、戻ってみるとやっちゃばがなくなっていた、帽子のツバの上にナンバーを付けて電動の台車に野菜をたくさん積み秋葉原をたくさんの青果市場の人が我が物顔で歩いていた。
店もドンドン潰れてなくなっていった。
ヒロセ、シントク、ロケット、ナカウラ、カクタ無線、ヤマギワ、第一家電、サトー無線、大きな店が次々と姿を消していった。
今は何にもない、アキバとなってしまった。
それでも私はパーツを買いに月に一度はアキバに行っている。
それだって後何年あるのだろうか。
不安になるが、時代と共に本物のオーディオの火が消えかかっている、そんな気がしてならない。
店は今でもオーディオを扱ってはいる、しかし先に話したとおり私のように音を売る販売員は更にいなくなっている。
そう感じるのは私だけか。今はただ、たいして分かっていない販売員が、訳の分からない説明をして、訳の分からない客の言うとおりに商品を売りつけている、力も何にもないおとなしい羊逹がたくさん固まっている。
そうとしか私の目には映らない。
今の販売員が、お客の言う事に逆らわないのは、ただたんに苦情になりたくないからに他ならない、それでは本当に良いものは買えない、でも私は違った、誰がなんと言おうが良いものは良い、悪いものは悪い、ハッキリ言った。
しかしそれを気に入ってくれた客は正直かなりいた。今はそれすらないのか、嘆かわしい。
貴方に必要なものを売るのが優れた販売員、言われた通りに売るのはただの自動販売機である。
昔は怖かったが、背筋のしっかり通った本物の販売員が秋葉原にたくさんいた。

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