音質改善の合わさり方
ウエスタンスピリッツは極限までオーディオシステムを鳴らそうと、接点を見直したり、床や機材の下をしっかりさせてきた。
普通のオーディオならば、それで、もうじゅうぶんと感じるが、私は貪欲に音質を求めている。
それらを求め考えていると、色々な情報が集まってきた。そして、今までのオーディオ人生や、己が行ってきた事を振り返ってみた。
冷静にシステムを見つめ考えてみると、実に色々な事を私は行ってきた。しかしオーディオの世界は、実にへんてこな魑魅魍魎の集まりである。
そして、今、冷静に振り返ると実に様々な考え方や理論が存在するが、殆どはガセねたである事に気が付いた。
つまりこうである、若い頃、人伝に聞き行った様々な実験である。その結果を信じて疑わなかったが、その細やかな過去からのものが、たくさん複雑に絡まってオーディオを鳴らなくしているのである。
総ては妥協の産物なのである。例えば「床は家族も住んでいるので、この程度で仕方がない、いつかやろう」何時かとお化けは出たことがない。
オーディオケーブルもそうである。「若い頃にさんざん試したが、何を使ってもたいして変化はなかった」それは彼方が本当に優れたケーブルと出会ってないだけである。もしくは聞き分けるセンスに乏しいだけである。
接点処理の仕方も同じである。「配線端末をシンプルにしても、スピーカーやカートリッヂを交換した程の変化はなかった」当たり前である。オーディオはさわる場所によって音質の変化は違うのである。
これらを真に理解しようとせず、次から次へと機材を交換し、物理的な変化だけを聞いているに過ぎない。そして「散々お金を使ったが、良い音を構築出来ず、嫌になり飽きてしまった、所詮オーディオは、生の音には到底勝てっこない」こんなところではないだろうか。
はなっから生の音など録音されていないし、録れる筈もない。しかし近付けようと努力する事が大切なのである。
「そんなの無理」と考えるのが普通なのであろうが、それではあまりに短絡的な寂しい考え方だと思う。
せっかく揃えたオーディオシステムがもったいない。「ならば何とか鳴らしてみたい」私はそう思った。
そして、本当に上手く鳴っている他人のシステムと出会い「鳴らせないのは、こちらの経験不足」と分かったのである。
優れた高級品さえ使えば音が良くなるのであれば、何の苦労もない。私はそんな哀れな人々を数限りなく実際に見てきた。
そして本当に優れた音を鳴らした方は、そんなに高価な機材を使っていない事もその頃分かった。
しかしそんな経験とセンスをお持ちの方が、本当に優れた高価な機材を使用したら、さぞかし凄い音を鳴らすと思うが、そのレベルに到達した方はなかなか存在しない。
つまり両者は合い交える事がないのかも知れない。数々存在するオーディオのやり方の中で、ご自分がどれをチョイスするかが問題なのである。
そしてそのたくさんの実験の重なり方が、更に問題なのである。過去にやってみて駄目な事も、システムのレベルが上がって来ると、良い結果につながる事もあり、また反面、駄目になる事も多々ある。
これらを上手くバランスさせたのが、今のウエスタンスピリッツサウンドだと思う。
こうである、何かを行いシステムがレベルアップすると、今まで感じなかった更なる粗が見つかるのである。これは体のリハビリととても似ている、暫く固まっていた筋肉を動かして行くとそこは次第に動くようになる。
しかし、今度は別の感じなかった筋肉が痛み出す、この一進一退を繰り返し、リハビリ効果が出てくる。
オーディオの音も同じに感じる。オーディオは接点だらけである。一ヶ所接点を改善すると、別の接点が悲鳴をあげる。そこを一つ一つ順序を間違えないように改善していく。
しかし、この順序を見極める経験とセンスを磨くしかないのである。床をや機材の下をしっかりさせるのも、接点改善も、ケーブル選択も、総てはエネルギーを逃がさずスピーカーを轟かせる為に必要な事である。
そして、スピーカーの下の余計な振動エネルギーを、素早く減衰させる。これがクリアーな音を鳴らす条件の一つとなる。
それはなぜか?いつまでもスピーカーがダラダラ鳴っていては、付帯音になり、切れの良い低く沈んだ低音の音質にはならないからである。
ウーハーの低音が低くクリアーに沈んだ音質に鳴らないと、その上の周波数を再生するドライバーやツィーターの音質に迄強く影響するのである。
流石のメーカーもそこは、ユーザーに委ねるしかないのである。オーディオは完成されている、それを傑作にするか、駄作にしてしまうかは、貴方の経験とセンスに委ねられている。
ご自分が聞いて良ければそれで良い、そう思うのならば話はそこまでである。ウエスタンスピリッツはそうは思わない。