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歌舞伎町のサウナ

今回もオーディオと全く関係のない事だが。
人間、たまには息抜きが必要だ。
でも、また一つ、私のオアシスが消える事になった。昔からそこにあるのは知っていたが、一年位前からたまに息抜きに行っていた。歌舞伎町では40年営業していたサウナの老舗である。
決してお洒落とは言いがたいが、私にはそこがなぜか安らぐのだった。
この度みなさんご存知、三月の震災により、老朽化したビルはとうとう建て替えを余儀なくされた。
それでやむ無く閉店を決めたと話していた。
昔はそのビルにちょいとイカしたディスコがあって、歌舞伎町はかっこよく、それこそブイブイいっていた。
今の様に、客が店の接客が悪いなどと絡めば、間違いなく奥から恐い兄ぃが出てきて「お客様こちらへ」と静かな所に連れていかれ、話しを少しは聞いてくれるが、ボコボコにされること間違いなしだった。
おかしいもなにもそんな時代でそんな街だったのだ。とてもではないが今の様に一人で口をあけて平和に普通に真っ直ぐに歩いていられる土地柄ではなかった。もちろん、カツアゲなど日常茶飯事である。
今日行って閉店の紙が張ってあり、がっかりして、虚ろに風呂上がりの食事をしていると、初めて飲みすぎて終電がなくなり行った、今年の三月十日から翌日の朝まで泊まりその時レストルームのテレビで坂上じろうさんの訃報を知った事と、朝、自宅に帰り寝ていたら夕方に大震災があった、そして、走馬灯の様に若い頃の歌舞伎町を私は思いだしていた。
とにかく当時は(バブル)時代が煮えたぎっていた。
実際のところ当時若い人は、ディスコかゲームセンター(スペースインベーダー)に行く位しかお金がなくて、自ずと遊ぶ場所は限られていた、つまり他にはあまりいけなかったのだ。
お金のある人達は、六本木や銀座で遊んでいて、歌舞伎町などトッポイ子供の遊び場だったのだ。
だから今ほど娯楽はなかったと記憶している。
今も何となく残っている思い出横丁など、昔、若い人達は小便横丁と言って行かなかった。
それすら今は、昔ラーメン屋が出した火災により一旦は復活したが、その後衰退してゆき、全く別な一角に変わって来ている。
今よりもっと格差がハッキリしていて、若者とオッサンの遊び場は完全に分かれていて、お互いにあい交えないものがあった。
それでも夢があった。
恐いけど、歌舞伎町はとにかくかっこよかったのだ。喧嘩に強くなければ、まともに歌舞伎町の街を普通に歩けなかった。
また喧嘩に強ければ凄くモテた。
今の様な草食男子等、かっこうの餌になりカツアゲされ、女に相手にもされなかったと思う。
みんなこの時とばかりにスタイルをニュートラやJUN(当時のファッション)でビシッと決めて来ていて、みんなアフロやリーゼント、パンチパーマやアイパーで目付きが鋭い、目があい、肩がぶつかると、もう即である、なんだこらっ、私も思いっきりそうだった。しかし、今の歌舞伎町は、もう何にもない、普通に歩ける平和なただの普通の街になってしまった。
刺激がなく、面白くないことこの上ない。
もう昔を懐かしんでいても仕方がない、その時代は帰っては来ないのだから。
今回はオーディオの話しと関係ないが、オッサンは少し愚痴ってみた。
しかし、行き付けのオアシスだったサウナがなくなるのはやはり寂しい。
さらば青春、さらば新宿歌舞伎町である。

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