命の長さに順番はありません
3.11を思う、未だに亡き家族を捜索されている方の映像を観ました。正直、言葉がみつからない。また、何故だか簡単に頑張れとは言えません。
ですから、失う前の今が大切なのです。失った命はもう二度と帰っては来ません。
この話は、我が家に起こった事実なのです。
この先、読まれたければ読んで下さい。悲しくなるので、嫌ならば読まないで下さい。
私には四つ下の弟がおりました、大学を卒業し、父と同じ運送会社に就職し、二年目に大阪に転勤になり、私をあおり、張り切っておりました。
弟は背が小さく、オフロード系の背の高いバイクに乗っていました。
私は、そのバイクを見るたび嫌な予感がしていましたので、何度も注意をしました。しかし、若いと言う事は、注意をするほど反発するのです。そして、弟は無類の酒好きでした。
仕事の帰りに仲間と酒を飲み、あろうことかバイクに乗り帰宅したようです。そして、自爆してしまったのです。弟の住むアパート迄は、事故現場から後一分だったと警察の方は言ってました。「お力になれず申し訳ありません」その言葉がずっと頭に残っています。
忘れもしません、11月11日夜中の1時11分でした。その日の夜中、私は二階でオーディオを聞いておりました。その時から私は1と言う数字が嫌いになりました。
すると何故か二階で音楽を聞いてる私に、一階で電話をとる父の姿が見えたのです。父が二階へとんできました、「弟が、もうだめだ」との連絡が警察から入ったのです。
次の日、朝一番の新幹線で大阪へ駆けつけました。病院ではなく、警察の遺体安置所に寝かされた弟は、顔が黄色く生きてるようには見えませんでした。
かわいい弟の額をさわると、既に冷たく固く、二度と目覚める事はないなと思いました。
翌日、荼毘にふすとき、私は初めて父の涙を見ました、凄く痛かったです。
それからです、母は何かを削がれた様になり、急に歳をとった様な気が致します。私の中にも取り返しのつかないような、それでいて絶対に解決出来ないような後悔が残っています。生涯消える事はないでしょう。
私が28歳で、弟は24歳でした。あまりにも短い弟の死に対し、私は恥ずかしい人生を、もう歩みたくありません。
弟はいつも私の後をついて来ました、私が自転車に乗れば弟も自転車に乗り、ギターを弾けばギターを弾き、オーディオを始めればオーディオをはじめ、とても可愛かったのです。
弟のバイク事故で他人を巻き込まなかったのは幸いでしたが、亡くなってしまっては、もともこもありません。
夢にも滅多に出て来ません。似たような年格好の方を見かけると、「ああ、弟はもういないんだな」自然と目が追ってしまい、悲しくなります。
もっともっと、遊べば良かった、ああもしてやりたかった、こうもしてやりたかった。でも、もう何にも出来ないんです。
出来るのは、残った我々家族が普通に元気に仲良く生きてる事、ただそれだけなのです。
でも、私は弟の体を荼毘にする事が出来たのです。弟はもういませんが、まだいい方なんだと思います。
弟よ、私はかわいかった貴方の事を絶対に忘れない。それだけは今でも全く変わらないよ。
またね。
でも、人は勝手な生き物だね。