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この記事は、2018年11月7日に、FC2ブログからこちらのサイト(https://we-spirits.jp)へ
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カートリッヂの音の差



このレコードが、このメーカーのスピーカーが、聞いてる私に強く語りかけた様な気がした、そして、ふと私はこう思った。
1977年録音USAコンテンポラリー アートペッパーのno limit OJC復刻盤である。
低音がでづらく、再生の難しいレコードだ。
甘さのない音像の小さなクールな録音である。
私は、今までのオーディオ人生の中で実にたくさんのカートリッヂを聞いてきた、値段の高いもの安いもの発電方式や針先の違い、はたまたカンチレバーの違い、しかし、特に値段の違いである、べらぼうに高い最近の高級品、また、そうでない安いものの音の差の事を今回は書きたい。
先ずは結論から話そう。
残念ながら、たいした差はないと私は結論付けたい。では、この値段の差はなんだろうか?カタログをつぶさに読んでみると、針先のスタイラスの素材の違いとそのカットの難易度、次にカンチレバーの素材とその値段の差と加工の難易度、コイルに巻いている線の種類と純度の値段の差である。
適正針圧や出力が高級品になるに従い低くなっている傾向に私は感じる。
今は昔と違いあまりちゃんと店で試聴出来なくなった。
そんなものに50万円とか30万円は正直ちょっと厳しい。
私の様に友人に借りたり、実際に購入してみても、実際に値段の高い方が圧倒的に良い音だとは正直私はあまり思えない。
高級品は品が良いと言ったらいいのか、おとなしめの静かな印象だ。
今使っているのはデノンのDL-103である。
非常に優れたカートリッヂである。
分かってないと、笑っていただいてもいっこうに構わないが、みなさんこれは笑っている場合ではない。
こうは考えられないだろうか?
メーカーは高くつく素材を使い、付加価値をつけて消費者に販売する、あたかもこれが究極だと思わせる様な評論家の推薦文をつけて、そして、メーカーは実際に購入して使った人の声を直接聞く事は殆どないのではないかと、私は思ってしまう。
ただ購入した人は高いものを購入したから良いと思っているだけ、若しくは思いたいだけ、それが本当に良いものならば、なぜ次々と究極の新製品が出るのだ、では?なぜDL-103が未だに残っているのだ、高いものを買ってもたいして変わらないと話すお客様が多いからではないのか?
それと、正直お金がもたない。
どのクラスのカートリッヂを使おうが例えばデノン(旧デンオン)の音は一貫していると思う。
お断りしておく、私はデノンの事を言ってる訳ではない、むしろデノンは良心的だと言いたいのだ。
むしろ高級品の出力の低いカートリッヂは音にパンチがない、評論家はダイナミックレンジの事ばかり書いているが。
評論家達が普段自分で聞いているのは、以外とDL-103だったり、オルトフォンの古いSPUだったりする、多分それが答えなのだ、色々さ迷い、お金があればたくさん購入出来て、それは確かに楽しいだろう。
しかし、そういった人の装置から良い音を聞いた事が私は一度もない。
むしろ努力して何とか自分のシステムを追い込み、調整して悪戦苦闘して出した音はひと味もふた味も違うし優れていると思う。
私は販売員の頃から、これも良いけどこちらも良いですよ、なーんていい加減な事を話した記憶は一度もない、むしろお客様ひとりひとりのコンセプトを聞き出し、貴方にはこちらが向いてます、と、ハッキリ話していた。その結果、私の話し方の感じが悪いと、苦情になった事は何度もあったが、私は商品でなく音を売っているので、私と話が合わないのであれば、他の店員に変わるなり、よその店に行って下さい、私は偽りものは売りたくない、と、お帰り願っていた。
昔の秋葉原である、その結果、馬鹿みたいに店を何件も回り、何時間かすると、私に苦情を言ったお客様が戻ってきて、貴方を信用するから、また一から教えて下さい、となる事も多かった。
また熱くなり話がそれてしまった。
私は多分、もうあまり高いものを買わないだろう、それがTADのET-703(ツィーター)の様に優れていると自分で感じたら、仕方がないので購入するが。最近のカートリッヂの高級品は何か私の思考回路からは、値段がかなりずれていると思う。
音が圧倒的に違う訳ではない。
高級品は音の気品が違う?貴方はコウモリか?と言いたい。
そんな事はない。
私には品が良くは聞こえない、所詮は針先が拾いカンチレバーに伝わり、楽器の音がちゃんと出るかである、ただそれだけではないか?
レコードに擦れているだけだ。
私はこう思う。
明らかに構造から違うのならば、その難易度と出てくる音が圧倒的に違えば、こんな文章にはならない。
納得するだろう、しかし現にたいして変わらないではないか。
どんなに優れた包丁を素人が買っても一流の板前には勝てない、天才が修行と努力をして、その天才が良い包丁を長年使いこなし、その手に馴染み、握った時にその包丁ははじめて真価を発揮する、そんなものではないだろうか?
因みに一流の板前が貴方の家庭の包丁とまな板と食材を使って作っても、やはりその味は一流なのです。
これを使わないとこの音にならないと話す人がいる。アホか?
一流の板前ほど、普段使っている慣れた包丁でないと、私の腕がふるえない、等とは絶対に言わないものである。
二流の人が一流の包丁を握っても味は二流以下となってしまう。
それはなぜか?
修行をしていないから。
ならばカートリッヂはその包丁と同じなのかも知れない。
一生のオーディオ人生の中で、人は何個のカートリッヂの真価を引き出せるのだろう。
ならば私は、家にある普段の包丁(カートリッヂ)を使いこなそうと決めた。
それすら未だに使いこなせてない気がするからだ。
私はそう思う。
違うか?

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