人がなくなるということ…
父が六月二十日13:37誤嚥性肺炎の為86歳の生涯に幕を下ろしました。
穏やかで静かで大往生でした、十五年程前に肝臓の手術をうけており、それでもお酒を飲み、通院しておりましたが元気でした。
ところが、去年の七月頃から急に腎臓の数値が悪くなり、入退院を繰り返す様になり、八度目の入院で帰らぬ人となりました。
父はアルコール性肝硬変、腎臓、脾臓肥大、タバコ肺、心不全(蛸壺形心筋症)、前立腺肥大、誤嚥性の肺炎、これだけの病気を抱えていました。
我々若夫婦は治るものと信じ、何度も救急車を呼びすぎた様です、少し苦しさを引っ張り過ぎたのかも知れません。
父はここ一年特に家内と私をとても慕い、安心して身を委ね頑張ってくれたのです。
粛々と手続きを済ませていく我々若夫婦を見て、安心した様です、「後は残された三人でよろしくやってくれ」よくそう話しておりました。
安心して逝ったのだと思います、穏やかな顔をしてました、火葬されたお骨を見て、みなさん驚いていました、殆どしっかり残っていたからです。
関東で一番大きな骨壺でしたが、そのままではおさまり切らず、下の方から砕いてそれでも入り切らない程でした。
自衛隊で鍛えた体だからだと思いました、下顎のお骨はそっくり残っていました、驚異的な事だと焼き場の方が話していました。
父の弟さん(叔父さん)はこう話しました「内臓にもう少し気を使っていたら、百歳まで生きたかも知れん」私もそうおもいました。
手前味噌ではありますが、父も何のやり残しも心配もなく、我々若夫婦も完全燃焼と言う感じです。
そして残された我々家族三人、これからの事を粛々とやっており、まだ結構忙がしいのです、四十九日迄は…
新居に越して来てから、三年四ヶ月を振り返り思います、家内よ何時もありがとう、心より感謝致します、これからは母さんを支え、家族三人仲良く暮らしましょう。
そして父よ、私は貴方の子供に産まれて来て本当に幸せでした、今までありがとう、どうせ貴方は人気者、あちこちの飲み会へお呼ばれし、好きなお酒を飲んでるのでしょうね。